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「太宰治の文章は、美文だ」とようやく分かった、今年の夏

わたしはいま「走れメロス」を読んでいます。キッカケはレモンさんの記事。

レモンさんが「女生徒」の一小節を紹介されてて。なんて美しい文章なんだろ。わたしは魅了されました。

こうしてnoteを書いてなければ、「なんて美文だ」て、きっと目にも留めてなかった。不思議なもんですね。感性が育ってる。

ちょうど「、」に悩んでまして。どこに打つと読みやすくなるのか、効果的か。迷うんですよねー。考えてないようで、毎回のように思案しながら書いてたのです。

太宰治先生(急に持ち上げてみた笑)は、この「、」の塩梅が見事。そして現代語にも通ずる、分かりやすい言葉が多い。読もうって気力がわいてくる。

本屋さんへ立ち寄ると、「100分で楽しめる」と題して売られてて。文字がやや大きめ、そして厚みが薄い。これがもう、客の心をくすぐるんだ。ハードルがどんどん下がり、わたしはまんまと手に取りました。

大人になってから読む、走れメロス。子供のときと感じ方が変わってて。

なんで無関係の友達を巻き込むんだ。国語の教科書で読んだ、中学生のわたしは思いました。王さまとアンタの話や。そして途中挫けそうだった、だと。ふざけんな、知らんわ。冷めた目で文字を追ったなあ。

でも自分自身も大人となり、いろんな経験を経たからこそ、思うところが違ってて。

胸の内からわく衝動に任せ、「ここで言わなくてはならぬ」といきり立つこと、あるよねー。さぁ、証明してやるさ。張り切って言い出したはいいが、向こう見ずの発言だったか。されどもう、後の祭り。ひくに退けない。

あゝ、よそさまを巻き込んでしまった。ここまでやったし、もうええか。許されるかな……んなわけあるかー。アカン。そんなん自分勝手だ。奮起しなきゃ。ベチベチ自分のほっぺを叩くように、気合いを入れ直し、道へ向き直る。

身につまされるように、自分の中へ覚えアリです。

たぶん子どもの頃は純真で無垢で、そして清き過ぎるがゆえに残酷でもあった。大人になって、汚れたり、濁ったりもしたけれど。許せるやさしさも得たのかな、なんて。

走れメロスは、太宰作品の中でも特に、短文だそうです。息を切らして走る呼吸の荒さを、読み手に感じさせるべく、あえてしてるらしい。それか、走ってるときの「ドッドッド」というリズム感を表現するためだったかな。どっちだったか、ちょっと忘れたけど。技巧を凝らしてると聞いたことがあります。

太宰治をはじめ、古今東西のいろんな方々の著書を読む。そんな夏を過ごしたいなと思ってるのでした。

では また

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