"いいね"にまつわるエトセトラ
"いいね"とは不思議な機能だ
時は現代。物心つくと同時にインターネットに触れ始めるような時代だ。今度の春に高校入学を控えている妹も念願のスマートフォンを手に入れた。ジャニーズの情報を仕入れたいがためにいの一番にTwitterのアカウント登録を進めていた。
SNSは若者にとっては欠かせないコミュニケーションツールとなった。人と連絡を取るという限定的な用途だけでなく、世界中とつながって(これは比喩でも誇大表現でもなく)情報を収集することもできる。
多くのSNSにはいわゆる"いいね"機能が搭載されている。投稿に対して行うリアクションで、ハートのマークがシンボルになっていることが多い。具体的にコメントが残されるわけではなく、"いいね"をしたという通知のみが投稿者に伝わる。先日、友人がインスタグラムのページを高速スクロールしながら機械的にダブルタップをしていた。インスタグラムはハートボタンを押す代わりに、投稿画面をダブルタップすることでも"いいね"を送ることができる。投稿をまともに見ずに指をせわしなく動かし、"いいね"工場と化した友を横目に2つ目のシュガーをコーヒーに投入した。友人曰く、投稿を見たということを投稿者に伝えるためのダブルタップらしい。工場作業の手を止めることなく教えてくれた。
わたしは異性とLINEをする時にハートの絵文字を使うことに抵抗がある。その人への好意の有無や関係性などを考慮したうえでないとハートを予測変換させて絵文字にはできない。先の友人にこの話をしたら同意を得られた。
おなじハートなのにこうも重さが違うものなのか。
ハートにかかっている重力がSNSによって異なるらしい。
インターネットは宇宙だ、と誰かが言っていた。
そうかもしれない。