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丁半博打も甲なり乙なり

権利関係の文章というのは、どうしてあんなにも読み辛いのだろうか。甲だの乙だの、丙だの丁だのと、これから博打を打とうというわけでもあるまいに、まこと物騒な世界である。口頭で説明してくれれば10秒で終わるような内容が、これでもかというくらいに回りくどく書かれているのだから本当に驚く。そして大体、誰がどれなのかがよくわからない。相手が一方的に提示してきた認識世界の中に入り込むというのは大変な作業なのだ。

逆にいえば、日常におけるやり取りというのは実に曖昧というか、雑多な言葉の投げ合いの中で、もしかしたらお互いに何一つ意味内容を共有できていないとしても会話が成立しているように見せかけることはできるという点にその面白さと恐ろしさがあると言える。

そう考えると、日常会話の危険性に比べたら、権利関係の文章の確実さには目を見張るものがある。甲だの乙だの丙だの丁だのというのは、まっこと非常に安全な物言いだったのであつて、もはや何故これらが自分の中で賭博のイメージと結びついていたのか理解できないほどだ。どうしてだろう?多分、丁半博打の丁が甲乙丙を全て巻き取って博打のイメージに染め上げたのだと思う。博打など。私は打ちませんよ博打は。ただ、競馬場でお馬さんの運動会を眺めるのは楽しそうだなというのはたまに思うけれど。今日はこのくらいにしておきましょう。おやすみなさい。

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