見出し画像

超音波で見る聞く触れる

■今日は久しぶりに仕事だった。今の職場は朝の8時15分に始まり、昼休憩を挟んで16時30分に定時を迎える。そこで上がるもよし、15分休憩を挟んで残業をするも(名目上は)自由だ。今の職場は僕にとっては左手の訓練場であり、お金をもらいながら筋トレをしたり手先の器用さを鍛えたりするための場所だ。僕は今の職場で、自分の体を作り直した。7年強に渡るフリーター生活は僕の体にそれなりのダメージを与えていたと思う。食事も偏っていたし、そもそも絶対量が足りていなかった。僕は、めちゃめちゃ食うのだ。

 とか書いてたらなんだかお腹が空いてきたような気がするので冷凍のたらこパスタをレンジにかける。実際お腹が空いたわけではなくて多分酒の分解に糖質が必要になってるだけだと思う。でもいいんだ。欲してる時には食べる。我慢をすることで手に入ることもあれば、我慢をすることで失われることもあるのだ。その両方を天秤にかけて、本当に今の自分にとって必要であることを選択できること。否、選択というのは真の自由ではない。本当に必要なのであるならば、選択の余地などない。手に入れるしかないのだ。

 食べてきた。断食などというのは普段食べ過ぎている人間だけがすればいい。
宗教上の理由で断食すべきなら、すべきだ。それが自分自身の信念に適うものならば、すべきだ。もし、健康上の理由で定期的に断食した方が体に良いと考えるならば、そうすべきだ。しかしだからこそ、本当に食べる必要があると思う時は、人は食べるべきなのだ。食料を確保するというのは生命の基本だ。食料というのはつまり、エネルギーだ。もし仮に、自分が、不必要なエネルギー量を与えられ不自然な働きをさせられていると感じた時にのみ、断食は有効だ。何が本当に自分にとって必要なのかを見極めるための儀式になる。嘘くさい食べ物を食べ過ぎている時、人は空腹を心地よく感じる。定期的に食習慣、即ち生活習慣を見直すという意味では断食は非常に有効だと思う。だからこそ、しっかり食べることの必要性も、しっかりと声を大にして言いたい。食事は大事だ。

 今思ったが、さっき急にお腹が空いたような気がしたのは、きっと摂取した糖質がアルコールの分解に使われてしまって、この文章を書くために必要な糖分が不足していると体が感じたからだと思う。僕は頭が大きい。そして、白米をかなり食べる。かなり食べるがほとんど太らない。これは明らかに、頭の回転に摂取した糖質のほとんどが使われている証拠だと思う。今日は文章の書き出しでかなり詰まったので、これを打破するためにそれなりのエネルギーが必要だったはずだ。だから、最初の2段落くらいで結構なエネルギーを使った僕の頭は、僕に「追加のエネルギーをよこせ」という指令を出したのだ。だからこそ僕はたらこパスタを食べた。と、ここで一つの疑問が湧く。もし、あの時僕が手元に食べるものを持っておらず、空腹を感じたままでいたら、いったいどのような文章が書かれていたか?もしくは、書かれなかったか?少し、シミュレーションしてみたいと思う。以下はさっき僕が空腹を感じた時に食べ物が何も手に入らなかった時のパターンの考えられる一例である。

 「とか書いてたらなんだかお腹が空いてきたような気がする」
 「が、今は家に食べるものがないので、」

1「書くことでこの空腹を忘れることにする。何事も喉元過ぎれば熱さ忘れるのであり、空腹などというのは一時の気の迷いに過ぎない。ほら、もう書いていたらだんだん空腹に馴染んできた。大事なのは違和感を違和感のまま抱きつつ進んでいくことだ。腹が減ったから飯を食うなどというのは動物レベルの発想であり猿と変わらない。人間の気高さとは動物的な欲求を超えて精神を穏やかにしていられることだ。」

 これはかなりストイックな発想の文章になってしまった。では、次のパターン。

2「とりあえず、一旦買い物に行くことにする。とにかく腹が減っていてはないにもできない。僕は空腹に弱いのだ。兎にも角にもなんでもいいからさっさと1000文字書き上げてこの文章を切り上げ、僕はコンビニに食料を調達しに行く。いや、ダメだ。限界だ。先に買いに行ってこよう。文章なんてものはいつでも書けるが、空腹は待ってはくれない。」

 結局買いに行くのだから、何も手に入らなかったパターンとしては失格か。

 とにかく、人間は何か欠乏状態に陥った時、無視するか充足するかの二択を迫られる。今この文章にも先行きの見通しが欠乏しているので、無視するか充足するかの二択が迫られている。見通しを充足するとは?どうやって終わらせるかをイメージするということだろうが、そんなことがわかるのであればそもそもこんな文章を書くような生活を僕は始めていないと思う。とにかくこの文章の見通しというのは「毎日1000文字以上書く」以上のことはないのだから。だからと言って先行きの見通しを無視して書き続けるわけにもいかないと思うのだが、実際今この言葉は先行きの見通しを無視することによって紡がれているのだから、これは実際どうなんだ。第三の回答、「どちらでもない」か。これは人生あるあるで、二択を迫られた時は大体の場合「どちらでもない」が正解だったり結局進む道だったりするんだよな。その通りだ。真実はいつも中間に浮いている。いつだって「食える」と「食えない」の間に人生はある、のかもしれない。多少無理矢理だが、今日はここで筆を置くことにする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?