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知覚の扉は顔認証

■なんだか頭が痛い。仕事上がりに妻と合流し外で簡単に夕飯を済ませてから、家に帰りK-popのオーディション番組の最新話を見て、そのまま流れでabemaの価値観恋愛番組みたいなやつを5話か6話か、全部見終わって起き上がってみたら頭痛である。特に熱が高いわけでもないのだが、なんだか風邪でも引いたかのような体調だ。プロジェクターで天井に映して横になりながら見ていたからだろうか。血流が偏ってしまっているのかもしれない。今は椅子に座ってキーボードを叩いてるから、しばらくしたらよくなるのではないかと思う。なんだか久々にこんなダラダラしちゃったなぁ。まぁいいか。

 来週の一週間が今の家でゴミをちゃんと出せる最後の一週間になるので、明日の土日からはきちんとスケジュール通りに引越しの準備を進めなくてはならない。この土日はダイニングキッチンを粗方綺麗にする予定だ。今度の引越しは提示された期間が平日しかなかったので(よくよく考えたら退去日を土曜日にすればよかったのだが)、片付けつつもある程度しっかり掃除もしておかなくてはならない。ぶっちゃけ敷引きなのでどうせお金は返ってこないから掃除などそこまで入念にやる必要はないのだが、掃除をするしないはお金の問題ではないのである。借りていたものは綺麗にして返す。この部屋には世話になったので、感謝の気持ちを形で示さなくてはならない。そうしないと、部屋に嫌われてしまうと僕は思う。別に住んでいる時から二十四時間ピカピカにしておく必要はないと思うが(もちろんそうできるならばそれが一番いいが)、使い終わった後くらいは綺麗して貸主に返す、それがお世話になった部屋に対しての礼儀だろう。思い出を美しいものにしておくというのは大切なことだ。

 そんなわけでもう2週間後には新しい部屋に引越しなのだが、正直ちょっとどういう感じの暮らし向きになるのかあまり想像がついていない。もちろんかなり色んな部屋の条件を見比べて選んだが、最終的な決め手は直感だからだ。この場所はいいね、なんだか僕らに合うね、という、そういう感じで決めた。

 これからの自分の人生がどういうものになっていくのか、今全く想像がつかない。というか二〇歳を越えたあたりから三年後の自分がどうなっているのか想像がついた試しがないのだが、ちゃんとこの歳になってもその状況は変わらず、である。これって結構すごいことだと思う。もちろん人によっては悪い意味ですごいね、となるかもしれないが、僕はこれはいい意味ですごいことだと捉えたい。人生の可能性はまだまだ、というか本当はいつ迄経っても無限なのだ。30だろうが50だろうが90だろうが、可能性に心を開けば新しい人生はいつでもそこにある。この「可能性に対して心を開く」というのは、ジョン・レノンの発言とされているものの中でも最も重要な一つと僕は思っている。このメッセージは普遍的だ。父親の耳元で毎晩流したいくらいだ。このメッセージを潰したくてジョン・レノンは殺されたのだと言ってもあながち間違っているとは言えないんじゃないかと思うくらいの、根本的なメッセージだと思う。だから僕もそのように生きたい、いや、生きなければならない。

 今日は遅くなってしまったし、この辺りにしておこう。おやすみなさい

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