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ただ世界に存在すること

記事を投稿して4か月経ちました。その後の経過として、自分なりに今の感情やこれまでの4か月についてまとめたいと思います。


12月上旬、私はやっと「もう自分と世界を許していいかな」と思うことができました。

約1年前に成人喘息を発症し、
 最初の4カ月は苦しさと絶望感で泣いて過ごし、
 次の4カ月は自分と世界を恨みながら過ごし、 
 残りの4カ月を自分を許すために過ごしてきました。

この4カ月は自分を見つめ癒すための4カ月でした。
私の生きがい(に違いない)高所登山から離れ、カヤックを始めて海や湖に漕ぎ出したり、新たに取り組んだ自重トレーニングで自分の筋肉や骨の動きをつぶさに観察したり。。一つひとつが私を知り私を癒し私を許すための活動でした。

少しずつゆっくり、新しい世界の自分を受け入れられるようになりました。
夢にまで見たあの広大な景色が少しずつフィルムカメラで撮影した写真のように美しく色褪せるような、ぼやけていくような感覚を覚えました。
次第にクローゼットに押し込んだ登山用品が目に入ることが苦しくなくなり、友人がSNSにあげる登山写真に落ち込まなくなり、淡々といま生きている私が私自身であるという輪郭を実感として持ち過ごせるようになりました。

正直なところ、時間が一番大きな薬だったと思います。
日々健康状態を日記に記録し続けたこと、トレーニングで自分の筋肉や骨格がどう動いているか感じ続けたこと。つまり自分自身の体と心を常に客観的に観測し続けたこと。それを繰り返すこと。

「しょうがないよね」の言葉が苦痛を伴わなくなったのはほんの最近のことです。


ついに自分を許そうと思えたきっかけは瞑想でした。
数年前にインド滞在中に体験したヴィパッサナー。当時は10日間のコース終了に満足しながらどこかに納得できない気持ちがあって、旅人の友人の「また呼ばれるからその時は行っておいで」という一言に合点がいきませんでいた。

ふと1カ月ほど前にヴィパッサナーのHPにアクセスし、直近の古い生徒用コースに申し込みました。キャンセル待ちだったけどすぐに順番が回ってきました。これが呼ばれるということなのかな、と思いつつ。12月上旬の4日間のコースでした。

古い生徒用のコースではゴエンカ氏の講和は2回しかありません。
その2回目の講和、コース3日目の夜。私は自分が何かに招かれて今そこにいること、そして自分が自分を本当に許しきるために呼ばれたのだろうと確信しました。別に霊的なことではないのだけど。
ゴエンカ氏の講和に「目指すべき真理に、導く人はいても最後は自分自身でたどり着かねばならない」とありました。偶然にも私の座席は瞑想ホールの最後尾列で、隣の参加者は英語話者のため食堂で英語の講和テープを聞いており不在だったので、私は一人でこっそり泣きながらその講和を聞きました。どうにかこうにか苦しかった自分から抜け出そうともがいた自分を、自分を許そうと悩み続けた自分を褒めようと思いました。苦しみから抜けて自分を許して新しい自分になろうとやっと思うことができました。


今思うと、私が苦しかったのは身体的なもの(息苦しさや胸の痛み)だけでなく、全盛期だと感じている自分自身にたどり着けないためでした。
2500m~3000m~、いや5000m級の山に登れる自分の体力や技術がひそかに自慢でした。そこで見る広大な景色は自分の足で勝ち取ったものだと感じていた。それをいま達せられなくなったことに苦しんで執着し、「私がいま苦しみを感じている」ことにとらわれていました。

そうじゃなくて、「痛みがそこにある」「その痛みを私は感じている」「私は過去の私に執着している」と、「私が」という意識から離れなければならなかった。とても長く苦しい1年間でした。


今、割と心は穏やかです。まだ息苦しい日々は続いているけど、自分ができる範囲で体を動かし続けたいと思うし、過去の高所登山の思い出は美しく楽しかったものとして今は1500mアンダーの世界で例えばトレッキングとかトレイルランとか新しいことに挑戦したいと思っています。

今後自分の気持ちや状態がどのように変わっていくかはわからないけど、少なくともいま私はこの1年間の自分を否定せず自分を自分自身として受け入れていこうというマインドを手に入れた。それで十分です。

そんな、最近の4カ月でした。


追記
4日間コースで、LA出身の参加者と仲良くなりました。
帰りの電車とバスでずっと話し続け、数時間前に初めて会話したのにずっと昔からの友人のような気持ちで心の深いところまで吐露することができました。
(意外と英語を忘れてなかった!それもうれしい発見でした。)
最近の心境の変化を彼女は喜んでくれて、あなたはすごくポジティブで素敵だと、そう言ってくれたことで私はさらに救われた気分でした。
彼女と会えたことが私の喜びで宝物だと確信しています。

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