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2023年色々話題のイランに行ってみたら想像以上に凄い国だった シーラーズ編

ピンクモスクを見にいこう

 さて直距離バスに揺られてシーラーズに到着した翌日。私はイランに来た3つの目的のうちの一つ、ピンクモスクを見に行くことにした。

ホテルのスマートテレビの待ち受け画面がちょうどピンクモスクだった。著作権的にフリーかどうか分からない画像が多いので、撮っておいてよかった。

 ご覧のように窓ガラスに陽光が差し込むことでこの世のものとも思えない美しい色彩を作り出すことで有名なピンクモスクはイラン観光の目玉の一つと言っていい。日が高くなってからではこの光景は見られないので、朝一で行くことにする。 

ピンクモスクの位置。街の中心部に位置するのでアクセスは簡単だ。

 ホテルが街の中心から離れていることもあり(地図で言うと川の北側)、フロントでタクシーを呼んでもらって朝8時過ぎに出発した(モスクは8時オープン)。8時半頃現地に到着し、入場料を払って中に入ってみると…

う、うーん?

 確かに美しいが、さっきテレビで見たのとなんか違う…

 私が訪問したのは6月の頭だったが、どうやら夏場だと開場してすぐに訪問したとしてもすでに日が高いので私の写真のようになってしまうらしい。美しいピンクモスクを見に行きたい人は冬に行くようにしよう。ちなみに、イランは暑そうに見えて冬は普通に雪も降る国なので注意が必要だ。

前回登場したモトハシスが後日送ってくれた写真。イスファハーンに雪が薄っすら積もっている。

 仕方が無いので神聖なモスクにしっかり鎮座する土産物店を見たり(しかも2店舗もある!)、中庭の池にいる金魚を撮って過ごした。

イスラム建築には池があることが多い気がする。イランでは大抵金魚が飼われている…ん?

 今編集していて気が付いたが、これ金魚じゃなくて鯉じゃね?なんとも日本との親和性が高い国である。

 ちなみにこのピンクモスク、朝9時ごろには中国人団体客が押し寄せてきたので、その意味でも行くならマジで開場と同時くらいにするべきだろう。

タクシーでの出会い

 ピンクモスクはやや肩透かしな結果に終わったが、まあ見れたことは見れた。モスクを出ると観光客を出待ちしているタクシーが数台待機していたので、一台拾って一旦ホテルに戻ることにした。

 するとタクシーの運ちゃんが道すがら英語で色々と話しかけてくる。どこから来たの?とか、何日滞在するんだ?といったお決まりの質問の後、彼はこう切り出した。
 「お前、もうペルセポリスには行ったのか?」
 ペルセポリスとはシーラーズ郊外にあるアケメネス朝ペルシアの都市遺跡で、イランに来たら必ず見に行くべきスポットの一つと言っていい。かくいう私も、イスファハーンのエマーム広場、シーラーズのピンクモスクと共に、ペルセポリスを見る為にイランまで来たと言っても過言ではない。

 私が「まだ行ってないが、明日にでも行こうと思っている」と伝えると、運ちゃんが「なら俺をチャーターしないか?」と提案してきた。曰く、彼の奥さんは大学で学位を取った才女であり、資格も持っているので英語でガイドをしてやれるぞ、とのこと。往復タクシーと英語ガイドで、確か2,000万リアルを提示されたと思う。約40米ドルだが、文化遺産を見に行く際にガイドが居るのと居ないのとでは感動に雲泥の差があるものだ。ガイド付きツアーと思えば妥当な金額に思えた。むしろ安い。

 それにガイドブックにも「公共交通機関で行く手もあるが、手っ取り早くタクシーに交渉してチャーターするのも良いだろう」とあった。ペルセポリス訪問にタクシーチャーターは危険な方法ではないようだ。よし、冒険してみよう。私は運ちゃんと電話番号を交換し、翌日の朝ホテルで落ち合う事で交渉がまとまった。

 で、翌日の写真がコレ。

すまん、イランに行ったのバレたら米国に行けなくなるので私の顔は隠させてくれ。

 家族旅行やん!

 なんというか、楽しい家族旅行の中に異物が一匹紛れ込んでしまった感がハンパない。車もタクシーじゃなくて個人所有の乗用車だったし。
 後から奥さんに聞いた話だが、この日はイランの祝日か何かで、とにかく学校がお休みになる日だったらしい。確かにペルセポリスにも子供連れが沢山いた。ひょっとして、元々行くつもりだった家族旅行に客を一人乗っけて、ちゃっかり稼ぐ作戦だったのだろうか…

郊外の道をスイスイ走っていく。イランの幹線道路は結構しっかり整備されている。

 ペルセポリスまでは車で1時間ほどかかるので、その間ドライバーの彼とは色々な話をした。私が日本から来た事は昨日伝えてあったが、「日本車いいよね」という話もしてくれた。まあ彼の車は欧州車だったが。

イランではよくこの型の軽トラが走っている。日本車だと言っていたが、ホントかなー?

 1時間もあると、結構色々な事を話すことになる。意外な事に、ドライバーのおじさんは政府に対する不満を色々とぶつけてきた。私に
 
 いや私も別に聞くのはやぶさかではない。意外というのはつまり、どこの国でも国民は政府に文句が言いたいもので、それはイランでも例外ではないのだなあ、という点でちょっと驚いたのだ。締め付けが強い国かと思っていたし、実際強いのだろうが、国民もそれに負けていないというわけだ。

こんな郊外に観覧車がある事に驚くべきか、手前のスズキ車に驚くべきか。
「ペルセポリスこちら」を見るべきか駱駝を見るべきか。

ペルセポリス訪問記

 さておじさんの愚痴を1時間聞いて、そろそろ相槌のパターンが尽きてきた頃、ようやく目的のモノが見えてきた。

あれは…!

クセルクセス門!!

入り口側
出口側

歴史の教科書で見たことある!(気がする)

双頭の鷲像!

テレビのドキュメンタリーで見たことある気がする!(ホントか?)

 大して歴史に詳しいわけでもないが、やはりこのレベルの歴史建造物を見るとテンションが上がる。今からおよそ2500年前の人間たちが英知を結集して造り上げたモノが今でも十分原型が分かる形で残っているのだ。これにはやはりロマンを感じざるを得ない。

 私は仏教徒という訳では無いが、ブッダの教えに個人的に興味があるクチだ。そのブッダが生まれたのがやはり約2500年前の話で、同時期に世界有数の強国だったアケメネス朝ペルシアの遺物を見ると、当時の世界を夢想してしまうのだ。

クセルクセス門の上部には古代ペルシア楔形文字が刻まれている。

 ペルセポリスでは至る所に楔形文字が刻まれており、これを読み解くことで専門家たちは歴史を紐解くのだそうだ。2000年以上の昔に刻まれた文字が今も残り人々に何かを伝えている事、驚嘆の念を禁じ得ない。だってヒストリエの時代よりも昔なんですよ!?

ペルセポリス見学中はずっとエウメネス状態。

 さて小難しいことは置いておいて、楽しい散策タイムだ。奥さんに説明を受けながら、様々な歴史の跡を見て回る。

ライオンと対決する王のレリーフ。

 古代文明では力を誇示する為ライオンを寓話に登場させると言うが、ここペルシアでもそれは同じらしい。向かって左側の短剣を持った王が、右側にいるライオンの存在しない角を掴みながらその腹に短剣を突き立てている。

貢物を運んで来る周辺諸国の使者を表したレリーフ。アケメネス朝ペルシアは…
西はヨーロッパ(多分エウメネスのいたマケドニアあたり)から…
東はインドまでも版図を広げていた。(なおこのレリーフがインドを示しているかは不明)
元々は木製の屋根で覆われていたが、長い年月の間にそれらは朽ち果て、石の部分だけが残ったという。
雨どい…ではなく、生贄の解体作業場だとか。つまり樋を流れるのは、生き血なのだ…
ここにも古代ペルシア文字が。古代ペルシア史を研究している人は解読してみよう!
敷地内には小さな博物館もあり、様々な展示物に英語で説明がされている
高台にある王の墓所(でも実際には王の棺はネクロポリスという別の場所にあるらしい)
高台からペルセポリスを望む

 なお、一通り見て回った後たどり着くあたりの位置にカフェがあり、そこで一休みすることもできそうだった(私は入らなかったが)。その隣には公衆トイレもある。まあ、例によって汚いのだが。

 とまあ怒涛の写真ラッシュであったが、歴史好きという訳でもない私でも解説を聞きながら見て回ることで色々理解でき、楽しむことが出来た。イランに来たなら必ず来るべきと言っても良いだろう。

 なお帰りも1時間みっちり政府への愚痴を聞かされた。きっつ!

シーラーズ市内を回る

 さて翌日、今度はシーラーズ市内を見て回ることにした。ホテルから街の中心部までは少し歩くが、散歩がてら行ってみる事にした。

ホテル前の道をテクテク歩く。道は整備されていて結構綺麗だ。
子供の遊ぶ公園。

 なんか最初の町で博士がくれそうな亀がいるが、それは気にしない事にしよう。

八百屋さんの手書きPOPの雰囲気は伝わってくる。

 昼下がり、八百屋に買い物に来るお母さんたち。ニュースで聞こえてくるイランのイメージとはかけ離れていて、平和だ。

やはりイランは雄大な山々が魅力。

 玉ねぎ型の屋根と荒涼とした背景。中東である。

上手く撮れなかったが、黒猫ちゃん。

 なおこの猫ちゃんを撮っていたら、近くにいたおじさんに滅茶苦茶怒鳴られた。怒られた理由は今もって不明である。

これは…

アウト。

 まあどう見てもスターバックスでアウトなコーヒー店はあったものの、基本的にはシーラーズはクリーンな都市である(イランのご多分に漏れず車が多いので空気は淀んでいるが)。

世界中あらゆる都市にある I LOVE (都市名) 

 このインスタ映えスポットで写真を撮っていると、現地の若者から「君どこから来たの?」と話しかけられた。彼女らも立派なカメラを手にしていて、撮影にいそしんでいるようだ。同じくミラーレスカメラを持って撮影している外国人の私に興味を抱いたのだろう。

 イランに来て驚いたのが、若者に話しかけられた時にほぼ100%「てかインスタやってる?」と聞かれることだ。私は旧人類なのでSNSはほとんどやらず、せいぜいがTwitterだけなのでそう伝えるしかなかったが、イランに来ると高確率でインスタに誘われるので、イラン人の友達を作りたい人はインスタ活動を始めてから来訪することをオススメする。

 で、どういう訳か彼女らが私のカメラで私の写真を撮ってくれる流れになった。その時の写真がコレ。

ポーズに迷った挙句…

 なぜ私はラーメン屋の店長みたいな腕組みをしているのか。コレガワカラナイ。
 ともあれ彼女らに別れを告げると、オシャレな街並みの散策を続けた。

世界中あらゆるにゃんこは可愛い。イランは猫が多い気がする。
バザールの入り口近辺。なんとなくオサレだ。

 イスファハーンはとても伝統的なイランを感じたが、シーラーズは近代的で調和のとれたイランを感じる―――と言って理解できるのは多分私だけだろう。言葉で表しづらいのだが、イスファハーンが京都だとすると、シーラーズは札幌あたりに近い気がする。どことなく人工的に綺麗に整えられた感じがあるのだ。もちろん、札幌ほど大都市では無いが。
 イスファハーンとシーラーズ、どちらにもそれぞれの魅力がある。

街の中心にあるカリム・カーン要塞。こうした伝統ある建築のそばにオサレカフェが並んでいるのも面白い。タクシーもいっぱいいるので道に迷ったらここに来よう。

 さてなんか書いていたら写真マシマシになってしまった今回、なかなかのボリュームになってしまったのでこの辺で締めたいと思う。次回はイラン最終回編として、シーラーズの最終盤の様子をお届けしたい。

 なかなか書き終わらん!

  次回、最終回。

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