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【那辺】という言葉について

以前、「那辺《なへん》」という単語を

人々のざわめきや耳障りな雑音が、ふんわりと那辺へ吸い込まれてゆく。

というふうに使用したら、読んだ方から「辞書で調べたら『不定称の指示代名詞。どのあたり。どのへん。どこ。』とあり、この使い方は不適当では」とのコメントをいただいたことがありました。
その時は、「『那辺』は遠称の指示代名詞で使われている例もあるので、この使い方で問題ない」とお返事したのですが、実はこの意味が載っている辞書は少なくて、誤用だと思われるのも仕方がないことかもしれません。

というわけなので、ここに幾つか遠称の指示代名詞として使われた例をまとめておくことにしました。
以下、文字強調は引用者が追加したものです。

まずは、『太平記』巻第三十二 272 直冬上洛事付鬼丸鬼切事 より。
※「那辺這辺」は「かなたこなた」と読むようです。

直冬朝臣此七八箇年、依継母讒那辺這辺漂泊し給つるが、多年の蟄懐一時に開けて今天下の武士に仰れ給へば、只年に再び花さく木の、其根かるゝは未知、春風三月、一城の人皆狂するに不異。

ウィキソース 太平記/巻第三十二

次に、『裸虫抄』牧野信一 より。
※「那辺」は「奈辺」とも書きます。

するうちに彼の乗つたブランコは悪魔の風を喰つて吹雪に目くらみ、天の極大(マキシマム)から地の極小(ミニマム)へと弾道を描いて揺れ動き、あはや腕がもぎれて混沌の奈辺へでも吹き飛んだかとおもふと、虚空に円を劃したのみで、彼の魂はもとの位置にぶらさがつてゐた。

青空文庫『裸虫抄』牧野信一

『文士としての兆民先生』幸徳秋水 より。

先生の文は殆ど神品であった。鬼工であった、予は先生の遺稿に対する毎に、未だ曽て一唱三嘆、造花の才を生ずるの甚だ奇なるに驚かぬことはない。殊に新聞紙の論説の如きは奇想湧くが如く、運筆飛ぶが如く、一気に揮洒し去って多く改竄しなかったに拘らず、字句軒昂して天馬行空の勢いがあった。其一例を示せば、
 我日本国の帝室は地球上一種特異の建設物たり。万国の史を閲読するも此の如き建設物は一個も有ること無し。地上の熱度漸く下降し草木漸く萠生し那辺箇辺の流潦中若干原素の偶然相抱合して蠢々然たる肉塊を造出し、日照し風乾かし耳目啓き手足動きて茲に乃ち人類なる者の初て成立せし以来、我日本の帝室は常に現在して一回も跡を斂めたることなし。

青空文庫『文士としての兆民先生』幸徳秋水

次の例は、対馬の歴史や民俗をまとめた日髙博嚴さんのウェブサイト「対馬全カタログ」の、西津屋という村落のページからの抜粋です。

「あなた」も「こなた」に
 かつて民家は2ヵ所に分かれ、上里の家を「那辺(あなた)」下里の方を「這辺(こなた)」と呼び、「こなた」は海際にあった。
 江戸時代は農業がメインで、漁業はサブだったが、時代とともに漁業の比重が増え、それにともない上里の家々も下里の方に。現在ではほとんどの家が「こなた」に集まっている。決して農業がおろそかにされている訳ではないようだが、高齢者が農業の中心であることは他の村と変らない。

対馬全カタログ「西津屋」

私の手元にある辞書では、三省堂「漢字海」第二版に、遠称の指示代名詞の記載があります。

【那辺(邊)】ナヘン =【那裏 ナリ】{近}①どこ。②あそこ。

三省堂「漢字海」第二版【那】の項

コトバンクで調べると『精選版 日本国語大辞典』には以下のように記されていました。

な‐へん【那辺・奈辺】
〘代名〙 (「那」は中国語の疑問詞、また、遠称代名詞。「奈」は音が通じて「那」と同意に用いられるもの)
遠称。あのあたり。あそこ。
※正法眼蔵(1231‐53)心不可得「這辺にあるか、那辺にあるか、無上菩提にあるか、般若波羅蜜にあるか」
② 不定称。不定の場所を示す語。どのあたり。どこ。日本では、明治期などに多用され、主として抽象的な場所や位置をいうのに使う。
※当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉一一「此原因は那辺(ナヘン)にあるか」 〔李白‐相逢行〕

コトバンク【那辺・奈辺】

「不定の場所を示す語」の例で「どのあたり」「どこ」が挙げられていますが、これらの単語は疑問文で使用される印象が強く、この記事の冒頭で取り上げた「この使い方は不適当では」というコメントも、それゆえのものだと思います。それこそ機械的に「那辺」を「どこ」に置き換えたら、「ふんわりと どこ へ吸い込まれてゆく。」なんて崩壊した日本語が出来上がってしまうわけですし。

しかし。
続けて「日本では、明治期などに多用され、主として抽象的な場所や位置をいうのに使う。」とあるのを見れば、「那辺」に置き換えるべきなのは「どこ」ではなく「どこか」なのではないでしょうか。
先に引用した『裸虫抄』の「混沌の奈辺へでも吹き飛んだか」など、まさにこの「抽象的な場所や位置」を指し示していると思います。前述の拙文も「ふんわりと どこか へ吸い込まれてゆく。」で、きちんと意味が通りますし。

遠称――つまり、ここではない。
不定称――つまり、どこでもない。

不定称でもありながら遠称でもある指示代名詞【那辺】、私はこの単語に、「ここではない、どこか遠く」という気配を感じてやまないのです。

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