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型にはめない・型にはまらない事は必要なことではないか

1.今まで私は人に「型があるように見える」と言ってきた

 私はこれまで色んな人に「型」があるように見えると言ってきました。
でもそれは全く人を何かの基準で見ようとして生まれたものではないです。
ただ自然に生きていて、接していたらなんとなくそう「感じられる」と言った程度で、それで私がその人たちに態度を変えるかと言ったら何もしていません。

むしろ人に対しても、考え方についても「型にはめない」事の方が重要だと思っています。
村上春樹氏の考えを引用します。

 新聞の世論調査の結果なんかを見ると、「わからない」とか「答えたくない」とか答えている人々が大体5%くらいいるけれど、僕にはこういう人の気持ちがよくわかる。
 たとえば「あなたはアメリカという国を信頼できますか?次のうちから選んでください」
①信頼できる
②ある程度信頼できる
③あまり信用できない
④信用できない
⑤わからない
 なんていうアンケートを受けたとしたら、これはもう⑤しか選べないじゃないですか。アメリカだろうが、日本だろうが、ニカラグアだろうが、信頼できる部分もあるし、信頼できない部分もあるんだから。
そんなわけで僕としてはこういう質問に対して「わからない」と答える人を信頼することにしている。

(出典:『村上朝日堂はいほー!』(村上春樹・著))

こういう面を私は高校生時代のクラスメイトに感じました。

クラスメイトで犯罪を繰り返している子たちは、彼らは確かに犯罪という悪い事をしているので正しいとは決して言えませんが、ですが彼らは人に対しては(少なくとも同じ学校内のクラスメイト)に対してイジメだったり嫌がらせだったり足を引っ張るような事は全くしませんでした。

なので彼らが悪人かと言ったら、「犯罪を犯している」という時点では「悪人」かもしれないが、じゃあ人間として「悪人」かと言えるかといったら私は判断がつきかねます。

やろうと思えば教師に隠れてイジメでも嫌がらせでもできたと思います。
実際、多くの学校や会社ではそういう事が起きていると思いますし、それが発覚したからといって、学校でも会社でもうまい解決ができないのではないかと思います。

なので私はいくら社会的地位が高かろうが肩書きが立派であろうが年収が高かろうかどうでも良いと思っています。

2.どうやったら人を「型」にはめずに見れるようになるか

 最近私が気づいたというか、やっと理解できるようになったのは「自分を型にはめない」事が一番良いのではないかと思います。

ここでは私は「負け組だろうがなんだろうが笑っていられればそれで良い」と書いたように、自分の考えされ変われば周囲の事はそれほど気にならないと思います。
たとえ貧乏でも生きようと思えば何らかの手段はあると思いますし、ある程度のお金があれば、後は人生を楽しんだらそれが人にとっての一番の幸福ではないかとも思っています。
お金が無ければ幸せになれない、常に高みを目指していかなければならないと常に考えていたら苦しいと思います。
いくらお金を稼ごうが上には上がいますし、人として成長しようと思ってもそこでも常に自分には到底太刀打ちできないレベルの人が数多くいると思います。

一つ参考になる一節を紹介したいと思います。

 同じく富裕層、社会の上層にいる人々も、信じているのは自分の経験したことだけであり、ほとんどイデオロギーと思想を持っていない。
絵空事の文学などにもあまり興味がない。
そして、自分が育った日本を素直に愛している点では、下流層と変わりない。
 たとえば、お酒を飲むときのことを考えてみればいい。
底辺の人間なら、銘柄など指定できる余裕がないから、「お酒をくれ」とだけ注文するだろう。
ワインで言えば、ただ「ワイン」と言うだけだ。
では、上流の人間はどうやってお酒を注文するだろうか?
これもまた、ただ「お酒をくれ」だけである。
ワインで言えば赤か白かぐらいは指定するかもしれない。
しかし、銘柄は指定しない。
なぜなら、「ワイン」と言うだけで、行きつけの三つ星レストランで、たとえばその店の最高級ワイン「シャトー・ラフィット・ロートシルト」が出てくるからだ。
 つまり、銘柄やブランドにこだわるのは、その中間にいる層だけだということだ。
絶対に高級ブランド品など買えない層と、いつでも数千万円の高級ブランド品が買える層は、そのもの自体に興味がなくなる。
 ところが、中流層となると、下流を「まだ下がいる」と見下すことで心のバランスを保ち、上流を「カネに飽かせて好きなことをやっている」となんとか引きずり下ろそうとする。

(出典『資産フライト 「増税日本」から脱出する方法』(山田 順・著))

かなり辛口な意見なんですが、この著者の方が富裕層の方を数多く見た中での意見ですので、そういう人達はそういう領域まで達成しているそうです。
ちなみにここで紹介されている上流層の方はほとんど海外で住んでいるそうなので日本でお会いする機会は滅多にないそうですが、それでも日本を愛しているという点は矛盾しているようであるが、それこそ自分たちを「型にはめていない」(日本が好きなら日本に住まなければならないという型にはまっていない)とも言えると思います。

私の考えで言えば、承認欲求をほどほどにする事が一番良いかなと思います。
この点はメンタリストのDaiGoさんが紹介しているので参考にしてもらえれば良いかなと思います。

3.最後に

 私も勉強したり本を読んだりしているので承認要求が高いなかと思いますが、それもなんとか自力で生きて行くための勉強であったり、本を読んで色んな事を知ることがただ単に楽しいからです。
そこら辺の、自分の考え方に固執せずに成長する方法についても紹介したいと思います。

自分の経歴や実績、考え方に縛られることなく、新しい考え方ややり方を素直に取り入れる姿勢が、「お金を貯める」ことができるのはもちろん、他のいろいろな場面でも自分をきっとこれまで以上にステップアップさせてくれるはず。

(出典『銀行員だけが知っている なぜかお金に好かれる人の小さな習慣』(長岐 隆弘・著))

単純ですが、なかなか難しいと思います。
もうすでに立派な実績を持っている方は自分の考えの正しさを十分知っておられていると思いますし、その考えをまた改めるのは、私の勝手な考えですが結構苦しそうだと思います。
特に年配の方だと長年の経験があるので、それをまた一から新しい考え方を取り入れるのはより難しいと思いますし、むしろある程度の年までしっかり働けたならその必要性はあるのかなとも思っています。

私の場合は肩書きも何も全くないので、色んな方法を取り入れていきたいですし、それもまあほどほどで良いかなと思っています。

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