10代の頃からの夢を叶えるため、今日もわたしは目を守る
もうすぐ私は手術をする。
手術と言っても、
なにか悪どい腫瘍が見つかったとか、交通事故に遭って内臓がぱんっと破裂したとか、階段から落ちて骨がバキバキに折れたとか、ではない。
わたしは至って健康(うつ病を除けば)であり、あらたに病気になるような自覚症状もなければ、ぶつけてあざはしょっちゅう作るものの骨や筋肉に異常はきたしていない。
事故にもあってない。
じゃあなんで手術するのかと言うと、
目を二重にするため。
そうただ、目を二重にするために、手術をする。
そしてそれはとても重要かつ宿願のプロジェクトであり、
先ほど"ただ"と表記したけれど、
私にとってはそれは "ただ" なんて軽いものではなくて、
子供の頃から何年も貯めてきたお年玉で憧れの東京へ上京するような、
そんな重みがあり、夢があり、憧れがあった、
念願の、念願の手術なのだ。
最近は二重手術が流行っているというか、割とメジャーに?なってきていて、私の周りでも何人も手術をしたことを聞くし、SNSでもよく見かけるようになった。
私が高校生の時は二重整形なんて…という反応が多かったし、その時代はアイプチで二重にすることが流行っていた。かく言うわたしも学生の時からまぶたのコンディションには常に気を張って、毎朝慎重に場所と量を調節し、糊を瞼に塗っていた1人。
その1人として、整形が身近になってきているのは、とても嬉しいことだなと思う。周りからとやかく言われる負担が減ることにもつながるから。
クリニックは知人がいない場所を選んだり、バレないようにああなんか自然に二重になったんだよねなどと嘘をつき、嘘がバレてはないかとビクビクする必要も無くなる。
嘘をつかず二重整形した!と言っても誰も引かなくなったから。あの子二重整形したらしいよ…うわあ…など言う声は同世代、親世代まではあまり聞かなくなった。
その言葉があるのとないのでは、かなり心の負担が違う。
別に整形を勧めているわけではなく、必要としている人に必要とされるサービスが受けられることへの弊害がなくなることは、本当に喜ばしいことだと思う。
知らない事ややったことがない事、見たことがない事に対して、人はどうしても偏見を抱きやすくなってしまうから、
整形だけでなくて、どんどん色んなものへの偏見がなくなって、届いて欲しい人に、必要な人に、サービスが行き渡るようになるといいなと思う。
と、話はズレてしまったのだけれど、
そう。二重整形をするのだ。わたし。
あ〜念願の二重…!!
中学生の頃から憧れをコツコツコツコツ積み上げてきた二重…!!
やっとアイプチの糊を使わなくても、朝起きても自然と二重のラインが手に入る…!!
嬉しい〜!!!
そして
わたしが今回する整形は、埋没法ではなく、
切開法の方。
なぜかというと今失業期間なのでダウンタイムが長くても全く関係ないから。ただそれだけ。
カウンセリングに行った時、なぜ切開なのですか?と真顔で聞かれたので、
あれ…だめなのか…?やっぱり埋没を挟んだ方がいいのか…?と不安になったのだけれど、
埋没は3ヶ月から3年でだいたい取れてしまうから、切開おすすめです!
と言われてほっとした…反対されるかと思った…
クリニックの受付の人も先生もとても親切な人だったのでこのクリニックにしてよかったなと思った。あとは手術だけ。
手術は不思議と怖くない。
逆にどんな感じなのかワクワクしてる。
麻酔はどんな風に痛いのか、部位はどんな風に感じるのか、手術の雰囲気ってどんな感じなのか、気になる。はやく経験したい。
そういう事を周りに言うとだいたいドン引きされるのだけれど、昔から手術の映像を見るのが好きだし、医療の仕事をしていたのもあって、自分が医療行為を受ける事にとても興味が湧いてしまう。
しかし手術後は腫れがちゃんと引くのかはとても不安。さすがに。手術を受けることで不安に思うこともある。
なのだけど、不安なのだけれど、
とても楽観的な性格なので、
腫れはいつかは引くものだから心配したってしかたねーべ精神。がひょっこり顔を出してくる。まあ落ち着いて過ごそう。それが1番って言ってた。ネットが。
あとは目に病気をもらわないように、
刺激に気をつけ菌に気をつけ、
大切に大切に目を守り抜くだけ。
なぜかと言うと、病気をもらうとその日手術ができなくなるだけでなく、キャンセル料を全額払わなくてはならなくなる。
そう、全額。
うん10万と言う大金が、夢の二重ではなく、キャンセル料に変わってしまうのだ。
こんなことがあってたまるか。
うん10万なんて金額、わたしは富豪ではないのでそんなバンバンだせない。無理。絶対。
本当になけなしのお金なので、大事に大事に使いたい。1円も無駄にしたくない。
キャンセルのためではなく、夢のために使いたい。
こんな風にお金で自分の夢が叶えられるって、すごいなと思う。
なんだか大人の仲間入りって感じだ。もうとっくに成人してるけど。
それから、とても幸せな事だなとも思う。
病気になってから、お金で解決できない悩み事や夢をたくさん経験してきた。
例えばなりたい理想の自分。例えば働きたい仕事への適性。例えば柔軟な思考。
弊害なく恋愛すること、子供を産むこと育てること、週5で働ける体力があること。
人によっては病気になっても諦めずに済むこともあるのかもしれないけれど、わたしにとっては、それらはとても難しいことなのだ。
思考はカウンセリングでなんとかなることもあるので、ある意味お金で手に入ることかもしれない。まあでもとてもとても長い時間や体力が必要になるし、楽には手に入るものではない。1時間やそこらでは手に入るものではない。
諦めればならないことがたくさんあって、本当に、たくさんあって、
でも生きてれば、こうやって、叶えられるものもでてくる。
少しずつ、わたしの人生は変えることができる。
こんな希望があるのなら、生きていても、よかったのかなあと思える。
本当に少しずつだけれど、雨粒だって溜まれば水たまりになるように、この少しずつが大きな希望になる事を、わたしは祈ってる。
さて
わたしの夢が叶うまで、あと一息。
それまで全力で、目を守り抜いていくことを誓う。
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