投稿5日目 「自分を赦す」

今日は「赦す」ということについて書きたい思います。

News picksで見た番組だったか記憶が定かでないですが、日本の若者は「未来に希望が持てない」「自分が価値ある人間だと感じない」「自己有用感が低い」人の割合が諸外国と比べて多いそうです。

私自身も今あげた3つのことに当てはまる人生を生きてきました。そういった価値観の変化(マインドセット)は、自分が大きな失敗をしたことと自己啓発本や心理学の本を読んで、自分自身の内省が進んだことで起きたと考えています。

なぜこういった「自分に自信が持てない人が多い」のか、その理由を考えてみると①教育制度の影響、②日本人特有の謙遜、③成功体験の不足があると思います。

①教育制度について
これまでの教育は「個性を伸ばす」のでなく、「平均な人間を育成する」ことに主眼が置かれていて、まだその割合が強いと思います。平均点が高い人間を育成することと、今の学校教育の相対評価と入試制度が関わっていて、それらが大きく変わらない限り変化は起こらないでしょう。平均点が取れる、言い換えたら「特徴のない人間」を量産している。

平均点を取るには、弱みを平均に引き上げることが必要で、そのためにはダメな部分を直視し、それを根性で(時間をかけて)なんとかする必要がある。それははっきり言って苦行以外の何者でもない。そんな過程で自信が持てるはずがないし、かえって自信を無くさせる方向に進んでいると思う。

②日本人特有の謙遜について
謙遜が美徳だという昭和の価値観は置いておくとして、なぜ謙遜がいけないのかという話をする。謙遜は、「あなたが価値があることですよ」と他人がポジティブな評価をしてくれたことを「いやいや私は価値がありません」とネガティブな評価に書き換える行為であり、自ら自信を持てなくする行為なので今すぐやめた方がいいと思う。仮にいきなり謙遜を止めるのが難しいなら「感謝」すればいい、「褒めてくださってありがとうございます」その言い方に変えるだけでいい。自分の内面で「自分がまだまだだ」と思うことはすごく大事だ(向上心があるということなので)。しかし、それをあなたを認めてくれようと勇気を出してくれた人に、「私は価値がない人間ですよ」という意思表示をするのは失礼極まりない。あなたが勝手に価値がないと感じるのは勝手だが、謙遜すると周りのプラスな雰囲気も壊してしまう。そこに自覚を持った方がいい。

まあ、私も謙遜してしまうこともあるのだが。なるべく感謝で返せるよう意識している。

③成功体験の不足について
日本社会全体として失敗を咎めすぎる雰囲気がある。挑戦する人が損をするような設計になっていて、終わっているとすら感じる。挑戦をたくさんした先に成功があることは、人類の歴史を振り返っても明らかなことなのに、なぜ挑戦する人を称賛しないのか、失敗したことをそんなに責めるのか、そのおかしさに気づいた方がいい。

私自身は挑戦を毎日しているし、挑戦する人を応援している。失敗した時はドンマイと明るく切り返し、「よし次はどうしよう」と次なるチャレンジに挑むよう背中を押すようにしている。そういう考え方をする人が増えてくれるととても嬉しい。

さて、タイトルの「赦す」ということだが、批判的にみるのでなく、「挑戦すること」「前向きに生きること」をぜひやってほしい、悲観することはいくらでもできるし、人間は元来ネガティブな生き物である。できないことを「赦し」、できる(ようになった)ことに喜びを見出す、そんな人間で私はありたい。


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