なぜ私は毎秒おびえながら世界に怒っているのか?
昨晩じゃがりこを食べていたら、パッケージのキリン家族が
メス→ピンクの服に赤いリボン
オス→襟付きの白シャツ
というのを見て、カルビーという会社自体が嫌になってしまった。まだ4本しか食べていなかったのに、すぐにパッケージを閉じた。
前も同じことがあった。寝る前の楽しみでアイスの実を一粒と思った日、パッケージ裏に書かれていた「世界中のお母さんが安心して子どもに与えられるものを」という一言にゾッとした。(写真の中でほほ笑んでいる京都吉兆の総料理長よ、あなたは育児していますか?)
なんで名指しでお母さんにするのだろう。子供を育てるのは男もでしょ?ペニスもあるから子供ができるんでしょ。男は一体どこでなにをしているの?なぜこの言葉を平然と載せられるんだろうかGlicoは。
その後Twitterで同じ怒りを感じている人を探したが、アイスのうまさを絶賛している人しかいなくて愕然とした。なんなんだこの男社会は。
「夜だけど小腹が空いて、罪悪感のないしょっぱいお菓子」わたしは明日から何を食べたらいいのか?
息子が2人生まれてから、男尊女卑、女性への不当な扱い、男らしさ…ジェンダーの問題が頭を離れない。
ここまで男をつけ上がらせてしまったのは、わたし自身の振る舞いにもあった。
電車で股割りをするかのように脚を開く男性に、わざわざ席を開けてあげたこと。「あの子は果物でもなんでもすぐ食べやすいように常にテーブルに用意しておけば機嫌がいいよ」という義母の言葉、それを鵜呑みにしてまた一人ダメ男を作ってしまったこと。痴漢をされたのはわたしなのに、「あなたにも落ち度があった」と責めてくる周囲に屈したこと。その中には母の姿も会った。
男なんかに負けたくないと営業を頑張り、1位になってみたものの、蓋を開ければ「経営者おじさん」のセクハラ発言を許し、ゴマをすって得たかもしれない地位であること。
かっこいい大人の女性を目指しているような、周りに振り回されないひとを振る舞っている風の刈り上げショートは、「女である要素を減らせば性被害に会わないかもしれない」という怯えもあって。
ほんとうのわたしが目指しているゴールがわからない。上に上り詰めたいなら男社会のルールに合わせなきゃならないし(誰がそんなこと決めたんだ。クソが。)、でも男尊女卑を加速させるようなこともしたくない。なのに人から評価はされたい。
幼稚園児の息子が「女の子なのにシンカリオンが好きな子がいて〜」と口にすれば、なんちゃら警察のように食事を止めさせてまで正してしまう。男とか女とか関係ないよ。ひとりの人間なんだから色んな好みがあっていいんだよと。
ピンク色が好きで毎日ピンクの服しか着なくて、きらきらしたマーメイドの絵やボッティチェリのヴィーナス誕生が大好きな息子。その好みが誇らしいと思う心と、社会に出た時にいじめられないだろうかと心配する気持ちが残っているわたしが恥ずかしい。おまえ自身が差別しているだろうが、と。
なにを好きになってもいいんだと息子には言えるその言葉が、自分には入ってこないのはなぜ?
わたしが、そのままのわたしでいいと言える日はくるの?
男に負けたくないと言っている時点で差別では、男という存在が怖くて恐くてだから見かけると怒りを感じてしまう。男と戦わないとやられるぞと。夫の拳がわたしの顔にヒットする1秒前、ためらいもなく振りかぶり歯を食いしばるあの顔を忘れられない。
男はわたしの敵なのか。そうだとして、かわいい2人の息子もいずれ敵の仲間になってしまうのか?そんなのは嫌だ。
わたしの心が勝手に線を引いて、敵とか味方を作っているだけなのか。どこが安全地帯なのか。わたしは今夜も地雷地帯をはだしで彷徨っている。
令和5年9月3日 次男誕生日の夜
もしサポートいただけたらマヌカハニーを買って、息子に与えて小躍りさせたいと思います。私も台所の隅でこっそり。風邪にもきく気がするし、おすすめですよ。