◆遠吠えコラム・「『聞く力』って打とうとすると「菊池から」と表示される―国葬とか岸田政権とか」(時事ネタなど)
. 岸田文雄首相が総裁選の時とかにしきりにアピールしていた「聞く力」って、あんまり聞かなくなったな。参院選の最中に銃撃されて亡くなった安倍晋三元首相の国葬が9月27日に決まった。岸田文雄首相は7月14日の会見で、国葬で安倍元首相を追悼する意義について、「わが国は暴力に屈せず、民主主義を守り抜くという決意を示す」‹1›と述べたが、国葬を閣議決定という民主的でない手続きで強引に決めてしまった。
岸田首相が国葬開催の意向を発表してから1月ほどがたった。新聞各紙の世論調査での賛否の割合はおおむね五分五分か、若干反対が優勢に傾いてきている。賛否が分かれている理由の一つに、「国葬」が現行憲法上で規定されていないことにある。国葬は、戦前の大日本帝国憲法の中に天皇の勅令である「国葬令」に基づいて行われていたが、1947年の日本国憲法施行とともに失効された旧制度だ。1967年に吉田茂首相の「国葬」が行われた際は翌年の国会で当時の大蔵大臣が「法的根拠はない」と答弁している。1975年には佐藤栄作元首相が死亡した際にも国葬が検討されたが、やはり法的根拠がないとの理由で実現しなかった。
法的な規定がないのであれば、我が国の立法府である国会で国葬に関する法案や関連予算を審議すれば良いはずだ。今の自民党政権にはそれができるだけの十分すぎるくらいの議席を有している。先の参院選で自民党は野党第一党の立憲民主党の議席を削って圧勝。昨年10月の衆院選でも自民党は過半数を占める議席を獲得。連立与党の公明党と合わせると与党の議席は衆参両院合わせて3分の2以上を占め、憲法改正の発議ができるところまで来ている。ありとあらゆる法案や予算が賛成多数でいとも簡単に可決できる。戦後70年以上も容認されてこなかった集団的自衛権行使を規定した安保法案も、共謀罪の規定を盛り込んだテロ等準備罪も、特定秘密保護法も。批判が多かったさまざまな法案の数々はまるで静岡県内を素通りする新幹線のぞみのごとく滑らかに衆参両院を通過していった。事実上独裁状態とまでいわれるほどの議席数を有し、ありとあらゆる法案や予算案をいとも簡単に通すことができる状態にありながら、あえて国会での審議を経ずして国葬を決めた。「民主主義を守り抜く決意」などかけらも感じられない。
安倍晋三元首相が暗殺された翌朝の新聞各紙は、白昼の惨劇について「民主主義への挑戦」と抗議の意思を表明する論評が一面を飾った。その後の報道で、安倍首相を撃った元海上自衛官の山上哲也容疑者が警察の調べに、「安倍元首相と関りがあった旧統一教会への恨みがあった」との趣旨の供述をし、少なくとも犯行が「民主主義への挑戦」を目的としたものではないことが明らかになったが、岸田文雄首相も、安倍首相が狙撃された直後の記者会見で、「民主主義への挑戦」と語っていた。「民主主義への挑戦」をしているのは山上容疑者ではなくむしろ、岸田首相の方ではないか。
国葬の開催が決まってからというもの、国葬に反対する言論を封殺しようとする動きがあちこちで見られる。SNS上で数万人のフォロワー数を抱えるインフルエンサーが「安倍さんの罪の部分が許せなかったとしても、ご冥福をお祈りするということはしませんか」‹2›の自身のツイッター上で発信し、国葬の断行を風刺する新聞の川柳を不謹慎だとして批判した。
テレビのワイドショーでは、「国際政治学者」と称した女性が「葬式なんだから悼みましょう」‹3›などと訳知り顔で語っていた。野党・立憲民主党の泉健太代表でさえも、「国葬については、その性質から厳粛におこなうものであり、元総理のご冥福をいのりつつ静かに見守りたい」と容認するかのような談話を発表した。後に釈明したが。そもそも彼は、国葬が民主的手続きで決定に至っていないことについてなんとも思わないのか。「野党は批判ばかり」と自民党をはじめとする与党の批判を受けて立憲民主党は「提案型野党」という新たなコンセプトを掲げて参院選に臨んだが、結果、大敗した。そもそも、「提案型」なんて、わざわざ強調しなければいけないものなのか?政策を議論する上で、批判も提案も国会議員としてはごくごく当然の営みだ。ラーメン屋が「ラーメンばかり作って」と批判される筋合いなどない。泉氏が代表になってから野党合同ヒアリングが廃止された。この記事を書いている時点で再び復活はしたが、「提案」にとらわれるあまり批判する力を徐々に奪われ、ひいては自由闊達な議論の場が奪われている空気の醸成に自らも一役買っていることを理解していないのか。
いわゆる葬儀は既に東京・増上寺ですでに行われている。そのうえで「民主主義を守り抜く決意を示す」ために開こうというのだから、政治的な目的は明らかだ。政治的なことであるならば、ましてや国民の血税で開催費用を賄おうというのならば、より多くの人が納得のいくよう民主的に、憲法をはじめとする法律に則ってやるべきだ。難しいことなど何も言っていない。当たり前のことだ。
国葬反対派をまるで人に死を悼むことのできない冷酷無比な人間であるかのように仕立て上げて黙らせるこれらの物言いには既視感がある。昨年夏の東京五輪のこと。世界一リーズナブルな大会を目指すといって始まった招致活動だったが、ふたを開けてみれば開催経費は過去最大規模に膨らんだ。開催当初に打ち出した数々の約束をことごとく破った東京五輪には常に批判が付きまとった。極めつけは、新型コロナウイルス感染拡大の最中での開催強行。医療がひっ迫し、東京の感染者が過去最多を更新し続ける日が続いたことから、開催期間中も批判はやむことはなかった。こうした批判に対し、「頑張っているアスリートに失礼だ」とアスリートの頑張りを人質にした言葉がぶつけられた。
私もSNS上で開会式当日、五輪開催への批判を大人げなくも展開していたが、私のごく身近な知人が「目の前に差し出されているものについては楽しんでいいと思う」とつぶやいた。おそらく私のツイートを念頭に置いてのつぶやきだろう。楽しむかどうかをこちら側にゆだねてくれないのか。と、不愉快な気持ちになったのを思い出す。
決まったことに対してあーだこーだ言う人を黙らせたいやつの何と多いことか。すでに決定してしまったものでも、些末な部分があるのならば指摘をし、決定を一時保留し、時には覆すこともいとわないのは別に不健全なことではないと思うのだが。決定した以上は多少些末な部分があってもその些末さを抱きしめて、飲み込んで、最後まで全員野球で、高校最後の夏を全力で駆け抜けることが美徳であるらしい。
安倍首相が亡くなった直後、安倍氏への批判派が醸成した空気が犯行を誘発したかのように評する言説がSNS上でにわかに飛び交った‹4›。今となっては安倍首相への批判と安倍首相の銃撃はあまり関係ないことが徐々に明らかになっているが、これはかなり危険な兆候だと思う。安倍氏の死を利用して今後、選挙期間中の警備が厳重になったり、国民への監視が強化されたりして、ただでさえ低投票率にあえいでいる昨今の選挙がより国民から距離が離れていくことを危惧する。「民主主義を守り抜く決意を示す」ための国葬が、民主主義の終わりの始まりにならないことを願ってやまないが、今のところ、あまり期待できそうにない。先日、岸田改造内閣は閣僚人事を発表した。内閣改造直後の会見で岸田首相は今回の組閣で成立した内閣を「政策断行内閣」‹5›と称した。LGBTQ(性的少数者)への差別発言で知られる国会議員を閣僚に起用したり、霊感商法や高額献金が社会的に問題視され、安倍首相狙撃事件の引き金にもとなったとされる旧統一教会関連団体に選挙協力やイベント出席などでかかわりがある議員が入閣したりして批判を招いている。「あーだこーだうるさいお前たちの話なんてもう聞かない」というメッセージと受け取っておく。
【参考資料】
1、「時事通信」、2022年7月14日配信記事「安倍氏『国葬』、今秋に 岸田首相『民主主義守る決意』-戦後2例目、閣議決定へ」
2、「『朝日新聞デジタル』コメントプラス」(2022年7月18日午後11時52分投稿)
3、7月31日放送のフジテレビ「ワイドナショー」で国際政治学者三浦瑠麗氏が国葬について「政治マターだと思うんです。だから、当然、内閣総理だ一陣が閣議決定で決めるんです」と国会での審議は不要であるとしたうえで「これはお葬式だから、そういう(安倍政権の)レガシーとか話し合うんじゃなく、お葬式としてみんなで傷みましょう」と発言した。
4、アーティスト・情報学者の落合陽一は安倍晋三氏が狙撃されて亡くなった日の2022年7月8日更新の自身のツイッターで「政府で働く人の悪口をみんなでいうと、その悪口を聞いた誰かが、日本をよくしようと思って銃でその人を撃ったりするんだよ」とコメント。実業家堀江貴文は同年7月8日更新のツイッターで安倍晋三元首相銃撃事件を巡って「反省すべきはネット上に無数にいたアベガー(安倍晋三氏をSNS上で批判する人々の意味)達だよな。そいつらに犯人は洗脳されてたようなもんだ」とつぶやいた。
5、「NHKニュースウェブ」(2022年8月10日午後8時3分配信、「岸田首相 新内閣は「政策断行」法令逸脱の宗教団体に厳正対処」)
(了)