映画『マネーボール』のこと。
2011年アメリカ映画。マイケル・ルイスによる「マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男」を原作とし、オークランド・アスレチックスのGM、ビリー・ビーン(ブラッド・ピット)が「セイバーメトリクス」と呼ばれる選手の評価や戦略をデータで分析する手法を用い、経営危機に瀕した球団を再建する姿を映し出す。監督は「フォックスキャッチャー」のベネット・ミラー。脚本は『ソーシャル・ネットワーク』のアーロン・ソーキン。
久しぶりに観てよかったです。
「アンチヒーロー」なんてかっこいいものではない男
論理で決めつけ、経験を否定する。
現場の意見は聞かない。
権力側の人間。
それがこの作品の主人公ビリー・ビーン。
まず、そんな人物に焦点を当てたことが娯楽作品としてすごいなと思いました。本来であれば、ヒーローに立ちはだかる壁として、嫌われる側の存在。権力を持った頑固者で、経験を無視し、数字しか信じない人間。その人が、後ろ指刺されながら、現場と軋轢を生み、理解されず独断で決めていくさま。その姿に、美学を感じるのはブラットピットがハマっているからでしょう。『ファイトクラブ』のタイラーダーテンのように、そんなもの捨てろ!意味がない!って啖呵を切るさま。あのときの彼が帰ってきたようでした。
このシーンの指パッチンがかっこいい
ただ、このビリービーンのやり方は他者に理解されません。ほんと誰にも。チーム内においても、チーム外においても。野球はそんな計算式で分かった気になるものではない!と監督にもチームのスカウトにもマスコミにも、批判されます。
ビリーに忠告するスカウト
ビリーは野球を「27個のアウトを取るまで終わらない競技」と定義しました。だから、わざわざアウトになる送りバントや、アウトになる確率を持つ盗塁を嫌いました。私は盗塁を求められてこのチームにいますと言う俊足選手にもそんなものはやめろとビリーは聞きいれません。そしてビリーは試合を球場で観ません。あくまで、信じるのはデータのみ。試合状況もアシスタントのメールだけで確認し、自分は球場併設のジムで孤独になる。プレーをもし見たとしてもテレビの画面越しという、絶対的「客観視」の立場に自分を置きます。
データで固めて客観視し、冷徹にふるまうビリー。ただ、それは仕事において。仕事でのペルソナです。彼は一人になると、才能に恵まれながら選手として大成できなった自分の過去を反芻してしまう。いつまでも後悔に囚われている。そのたび強く感情が揺れ動く。また、試合を観ない本当の理由は自分が観ると負けてしまうかもと、あろうことかジンクスを信じている。経験や感性を否定するビリーが、まさかジンクスを信じている。その人間らしさ。それが見えてくる。
この作品の上品さは、大声で泣いて感情の発露をデフォルメして見せたり、周りの人が実はビリーのこと理解していましたと、不自然な気遣いがないこと。あくまで仕事でのビリーはビリーであり続けること。そこが上品だと思いました。
ビリーの感情をカメラで捉えようとしても、影になっていてよく見えない
すべてが終わった後、ビリーはある二つのものを手にします。それはそれぞれ「論理」と「感性」の象徴。そこでビリーはある選択をするのですが、それがとても彼らしく、また彼らしくないところで終わるのがとても素敵でした。人間を肯定する映画。
歌が上手い娘
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?