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日記

今日は友人に人間として惚れた話をしようと思う。


私のクラスでは、古典の授業の一環で、授業中に取り扱った作品のIFやその後を考えようという課題が出ていた。有り体に言えば二次創作だ。力作揃いの中、彼女(以下部長と呼ぶ。部長なので)も例に漏れず素晴らしい作品を仕上げていた。私は彼女の作品のファンであるので、感想も彼女に送ったし彼女の作品に多数の感想が寄せられていたのも「そうでしょうそうでしょう。うちの部長はすごいんだから!」なんて半ば自分事のように喜ばしく思っていた。


妥協の多い私もこと文章に関してはなるべく妥協を許さず、それなりに己に厳しくやっているつもりだ。だから今回の課題は、それなりに自信があった。部長の作品を読んだ瞬間に、「アこれは一本取られたな」と笑ってしまうくらいで、ハッキリ言ってしまえば他の作品は有象無象に見えた。一通り読んだが、実際どれも記憶には残っていない。何が言いたいかと言えば、自分の作品は部長の次くらいにはいいものに仕上がったかなと思っていたのだ。


だのに、密度の濃い感想をたくさんもらったのは部長と同率で謎のクラスメイトだったのである。匿名なので未だにその人物が誰なのかは分からない。その人物を便宜上20と呼ぶことにする(作品番号が20番だったので)。


さて、20は一体どんな作品だったか。思い出そうとしても思い出せず、慌てて隣の席の友人に「20ってどんなのだったっけ、」と聞いてみれば、なるほどアイディアの面白さでは断然負けている。普段芸術に優劣は無いとか、感性の違いだからなどと理性で詭弁をふるう私は自分に自分を取り繕うことをやめ、ハッキリと「負けている」と思った。数字(評価)の勝ち負けではない。自分の作品そのものが劣っていると確信した。評価は副産物に過ぎないが、雄弁にその出来を語る。


そしてその確信と同時に、かの有名漫画家:藤本タツキの思ったことが心の底から理解できた。「コイツを超えられなければ、俺はコイツを殺す」、言葉尻は違うがその感情が明確に湧いた。競争を好まない私の人生の中で、久々に闘志が漲った。


そして私はすべて馬鹿正直に生きているので、「殺す。20を殺す。20だけは殺す」と実際に断言した。幼稚で厨二病じみた決意表明である。私の友人はみな優しいのでドン引きはしないでいてくれた。ように思う。私が私の友達だったらドン引きしている。


さて、この時誰であったか、私の周りにいた友人が「部長は殺さなくていいの」と茶化した。私は特に何を考えることもなく、「部長は殺したいと思わない」と言った。何も難しいことを考えた訳ではない。ただ単純に部長の作品を読んで殺すなんて物騒なことは思ったことが無いから、ありのまま答えた。


そうしたら、私の斜め前の席の部長が徐に振り返ってこう言ったのだ。
「殺したいと思ってよ」
と。


微笑みを携えながら悪戯っぽくそう言った部長に、私は魂を引っこ抜かれたかと思った。それほどに色っぽく、カッコよく、惚れるには十分の一言だったのだ。部長はすぐに向き直り、何事もなかったかのように本を読むかスマホをいじるかしていた。それをちゃんと覚えていないのは、部長に前述の言葉を言われて大興奮した私と隣の席の友人でおおはしゃぎしてしまったからだ。黄色い歓声でふたり、大盛り上がりである。隣の席の友人は「漫画かと思った」と言っていた。私もそう思った。


これが友人である部長に惚れた話の全容だ。部長カッコいい。私は20を超えるために、今後は更に妥協を許さない姿勢で物を書いていこうと固く決意している。

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