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自分を変える。

こんにちは。ちゃすけです。

みなさんは、自分を変えるってできると思いますか?
「人は簡単には変われない」と、巷でよく耳にします。

確かにそうだなあと思っていました。

“性格はかえられる アドラー心理学を語る“
(野田俊作著)
の中では以下のように書かれてきます。

性格を変えるために必要な決断は、「性格を変えよう」という決断ではない……。というのは、「変えよう」という決断は、今現在の性格から出てきているわけですから。

〜中略〜

「今の性格を保つのをやめよう」という決断をすることです。
「性格を変えないでおく努力をやめよう」という決断をするのだと言ってもいい。

当時それを読んだ時に、なるほどと思ったんです。

確かに性格を変えようって“今の自分“が思っている。
それは今の自分の新しい思考となり、今の性格の自分を補強するものになってしまう。

例えば私を“四角い“箱だとすると、“四角い“という特質を残しながら、丸い箱になろうとする。
ということは、すこし丸いけど“四角い“ままってことですよね。

四角いということに変わりはないと。

さらに深めて考えてみますと、たとえ角が取れて“丸い“箱になれたとします。
すると今度は、“丸い“という性格に悩まされることになる。

エンドレスですよね。
私はここに気が付かずに、スピリチュアルや心理学などなど勉強し続けたんですが、苦しみは変わりませんでした。

では、どうすればいいのか?

回答としては、「その性格を保つのをやめよう。」と書かれています。

性格を保つのをやめる。
うーん。
確かにそうなんだけど、分かるような分からないような。

そもそも性格って何なんですかね?
辞書にはこんな感じで書かれていました。

先天的な気質と後天的な影響とによる、その人の感情・意志などの傾向。「―の不一致」。
更に広く、そのもの特有の傾向・性質。

ふむ...。
さっきの箱で例えてみると。
“四角い“のを止めるということですよね。

そしてただの箱になるということ。

つまりこれって、アイデンティティを捨てろってことですよね。
自分を自分たらしめる所以を捨てると。

では、アイデンティティとは何でしょうか?

自己同一性とは、心理学や社会学において、「自分は何者なのか」という概念をさす。
アイデンティティもしくは同一性とだけ言われる事もある。当初は「自我同一性」と言われていたが、後に「自己同一性」とも言われるようになった。エリク・エリクソンによる言葉で、青年期の発達課題である。

なんかもうここで決着してるなと思うんです。

自分が何者なのかという“概念“...。

概念ってことはもはやそれは幻でしかない。
そんなのはこの世には存在しないわけで...そこに回答を求める限り、どうしても脆弱な自己となってしまいます。

ありもしないところに幻の宝を探し続けてたってことですよね。

私が在る。
これで完結だったんだなって。

四角い箱は、“四角い“という概念を与えられただけで、本当はその形はその形でしかないんです。

箱は箱です。

時には別の形の方が良いように思えますが、物を入れるという目的さえ果たせればいいのではないでしょうか?

ま、そんなわけで、性格を変えるって、本当は自分をやめることで、本性の自分を思い出すことなんじゃないかなと思います。

それによってこそあなたの真価が光るかもしれません。

今日もありがとうございます。

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