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悟りについて

こんにちは〜
ちゃんたすけです〜

今日は、奇妙な体験をしているので、それを記録しておこうと思います。

私はどこにでもいる34歳の女性です。

元気な方ではありますが、普通に生きてきました。

ただ、自分と自分の心を観察するのが誰よりも好きでした。

ひたすらに内省が大好きで、高校くらいからずっと精神世界やスピリチュアルの世界を探究し続けてきました。

きっと人生が苦しかったんだと思います。

無意識ではありましたが、そこからなんとか逃れようと、その方法を探り続けていたんだと思います。

スピリチュアルの考え方が好きで、何かトラブルがあるたびに、認識を変え、心地よい自分になり続けました。

ある時、長年付き合った方とお別れすることになり、夢も諦めざるを得ない状況に追い込まれ、家族との仲も軋轢が生まれてしまった時期がありました。

私はその苦しみから逃れようと、心理学にハマり、愛とは何かを“知識“として得ることで、痛みを和らげることができました。

この苦しみに対処できたのだから、もはやこれ以上はないだろうと過信していました。

そして“違和感“を抱きつつも結婚をすることに決めたんです。

どんな苦しみがあっても、それを対処できる自分であればいいと思って...。

その方はとてもいい人で、優しかった。
何不自由ない生活をさせてくれました。

なのに、徐々に不足を感じるようになっていったんです。

相手が悪く見えるんですよ。

心理学もスピリチュアルもある程度知っていたので、相手が悪いわけじゃないと理解できるのに、心が乱れる日々が続きました。

自分のコントロールができなくなっていました。
小手先の方法では対処できないところまで来ていました。

おそらく私の中のエゴ(思考の声)と、私が真っ向から対峙し続けたのだと思います。

ご飯の味がしなくなったところから始まり、食べれなくなり、不眠、動悸、咳...。

どんどん痩せてやつれていく身体に、もう限界だと感じました。

そしてある時に、頭の中で何かがぷつりと切れる感覚がして、関係を解消することに決めました。

「本当にこの人との関係を終わらせていいの?」

頭の声が小さく小さく呟いていたのを覚えています。

その時の私はものすごい怒りを感じていて、立ち止ってはいられませんでした。

実家に戻り、ずっとサボりがちだった瞑想を毎日続けました。

感覚の赴くまま、たくさん泣いて、たくさん寝て、覚醒してる時は心の痛みに向き合い続けました。

私が私にしっかりと向き合いケアをする時間が必要でした。

そしてある日、奇妙なことが起きたんです。

瞑想していたわけではなく、ただぼーっと天井を見上げ、息をしていました。
ゆっくりと息を吐くと身体が緩んですごく気持ちいいので、その感覚をただぼんやりと楽しんでいました。

すると突然、身体の中をとてつもない快感が駆け巡ったんです。

ひたすら身体が気持ちいい感じで、頭の中が静まり、世界がキラキラして見えるというか...。

全てがスローに見えました。

その感覚の中にいる時は、今まで見てきた当たり前のものが、ただの“物“ではなくて、再び“新たな物“として知覚される感じでした。

普段ならすぐに感情的に反応してしまうようなことが、思考→感情とゆっくりと分離して進行するのが分かるんです。

なので、思考の段階で止めることができ、ネガティブな感情が湧かなくなりました。

この気持ちのいい状態がその日1日続きました。

この強烈な体験はこの時だけですが、そこからあの感覚を頼りに、呼吸に集中して、身体の心地の良い感覚になるべく浸るようにしました。

1ヶ月くらい毎日穏やかに満たされて過ごしていました。
すると、きっかけはないのですが、気分が上がらない日が続くんです。

思考を止めることができるのに、心が元気がない。そして、イライラしやすかったです。

「思考はないのにおかしいな?」

気を抜けばまた怒りの感情の波に飲まれてしまいそうだったので、感情の琴線に触れやすい人とは距離をとって、静かに心に集中し続けました。

分析や判断するのではなく。
感じることに焦点を当て続けました。

“寂しい“

そんな感覚が胸の真ん中にヒンヤリとあるのを感じました。

「ああ、これは私が昔から持っていた無意識の感情だったのか。」

そんな風に腑に落ちました。

私はいつも切ない曲が好きで、失恋の曲をよく聴いていたんですが、その曲を聞いてる時と同じ感覚だったんですね。

私はどうやらこの感情を発散したくて、毎日を過ごしていたようです。

それを覆い隠すように怒りを使って、相手と分離する現実を作り、感情を発散しようとしていたのかもしれません。

“寂しい“という感覚は3日ほど胸にありましたが、心地の良い呼吸を繰り返していくうちに、スーッといなくなりました。

私のエゴの核ともいえる“寂しさ“から卒業したことで、いまは意識しなくても思考が湧かなくなりました。

そして、全てのものと一体であるような感覚を常に感じています。

緊張するような場面にでくわすと、少し現実に没入してしまうこともありますが、すぐに戻って来れます。

私は身体でも心でもないのを感じます。
ピュアなエネルギー体なんだなって。

おそらくこれをみんな魂と呼ぶのだと思います。

エゴの核がないので、欲することがなくなりました。

欲しいものがないので、不足もなく、誰かとの比較もありません。

人生に確信が生まれて、自信に満ち、命の厚みを感じます。
大きな何かと繋がっている安心感があるんです。

私が私と繋がってさえいれば、パートナーもお金も成功も必要ないと心の底から思えています。

今のこの瞬間が永遠で、全てがここにあります。

この世界の何物もあなたを傷つけることはできません。肉体は滅ぶかもしれませんが、あなたの本質はそこにはありません。

悟りというと、程遠いようなものに感じますが、結構身近なもので、誰でもこの境地になれるんだと思います。

答えはいつも内側にあります。
あなたが自分の存在を思い出すだけです。

今日もありがとうございました。
人生に平穏をお求めの方にぜひ!
ちゃたすけでした〜


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