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日向坂文庫2021#19(加藤史帆×宮部みゆき『刑事の子』)

noteを開いていただきありがとうございます。
ちゃすいです。


今回は、加藤史帆さんが表紙となり、宮部みゆき『刑事の子』の感想について書いていきたいと思います。
(※一部本文から引用及び引用ページを記載していますが、私ちゃすいが読んだのは、2011年9月に発行された初版のものになります。
宮部みゆき(2011)『刑事の子』光文社。)


登場人物は以下の通りです。
・八木沢順:刑事の息子。
・八木沢道雄:刑事。
・ハナ:八木沢家に雇われた家政婦。
・慎吾:順の友人。


1.あらすじ

八木沢家はとある日東京の下町に引っ越した。
そんな町にはとある悪いうわさが流れていた。
それは、とある家で殺人が行われているというものだ。
しかも若い女性が入っていったきり戻ってこないという話やスコップで穴を掘っている老人がいるといったものまである。
そんなある日、親子連れが川から流れてきたビニール袋から遺体の一部を発見する。
この二つの出来事に関連性があるのか。
刑事の子である順は友人の慎吾ともに「捜査」に乗り出す。




2.感想(ネタバレあり)

意外と言えば意外な結果でしたね。
なんとなく犯人が才賀なのは予想がついていましたが、動機についてや東吾も共犯とは思いませんでした。
また殺人と遺体をバラバラにした人が違う人物であるとまでは予測できませんでした。

人を殺し、埋めておいてからまた掘り出して屋根のある場所の下に置く。
この行動からかなり冷酷な人間ないし、何か目的のために理性を押し殺し、それこそミッションを遂行しようとする強い意志が読み取れたので、なんとなく頭の切れそうな才賀が犯人であろうと予想はしていました。
しかし実際のところは殺人自体は安奈の弟らが殺人を起こしており、それを才賀が掘り返して色々していたようです。
しかも才賀は可能なら少年らもまとめて殺してしまおうと考えていたというので、驚きました。
まあ結果が分かれば才賀の行動としては納得がいきますが。

また東吾まで犯行にかかわっているとは。
怪しいと思わせておいて、実は善良な市民だったというオチかなと思っていましたが、しっかり共犯でした。
今思えば善良アピールがかなり早い段階でしたら、疑うべきでしたね。
また東吾が若いころ空襲にあった話のシーンで伏線が張られていたわけです。
助けてくれた人がいるという話がなぜ出てきたのか、よくよく考えれば、東吾が才賀に税理士を頼む背景にあるわけであり、何より才賀の計画に協力する理由付けであったわけです。


さてこの小説の中に個人的に気になった個所が2つあるので紹介したいと思います。
1つ目は、道尾が速水に自らの推理を披露する際に語ったことです。

人間は誰かのいいようになってくれて、手を煩わせることのないきれいなお人形ではなく、人間は死ねば腐るし、においもする。
また美しい顔もどこかに行ってしまう。
殺人が大罪であるのは、人をそんな姿に変えてしまう権利など、誰も持っていないからだと。
そして死ねばどうなるか想像でき心で理解しているからこそ、よほどのことがないと手をかけることはしない。
でも、想像力がないために人を殺すことを厭わない人もいるし、そういう人が増えたと語っています。

恐らく他者目線で考えるといいますか、こういうことを言ったら相手がどういう気持ちになるかわからないということとにも繋がってくるのでしょうか。
また以前どこかで魚の切り身のまま川を泳いでいると思っている小学生がいるといった話を聞いたことがありますが、こういうのはなぜ起きてしまうのでしょうか。

全てにおいて想像力をしっかりと働かせることはできないでしょうから、想像できてなかったからといって即ダメ出しをするつもりもありませんし、もしできていなかったらそっと「実は○○なんだよ」と教えてあげればいいと思います。
と同時に、想像力を働かせるにはどうしたらいいんだろうなと少し考えてしまいます。
なんとなくですが、知識及び実体験が少ないのと、もしあったとしてもそれらが結びついていないからなのかなと思いますが、どうなんでしょうか。

実体験に関しては確かに、動物はもちろんのこと人が亡くなっている姿を見ることはほとんどないですから、無理もないのかなと思ってしまいます。
特に人が亡くっている姿ってお通夜やお葬式でしか見ない気がします。
ある意味いいことだと思いますが、死が身近でないものになっているということなのかなとも考えてしまいます。
まあこのことについては、またどこかで考えてみたいと思います。


気になったことの2つ目としては、ハナが順に語っているところで出てきた言葉です。
ハナ自身は奉公していたときの言葉遣いをすることで家政婦になっており、言葉によって武装していると。
そして「人は誰でも武装するものだ。」(191ページ)と。
しかし何で武装するかは人によって違っており、鎧を着る人や鉄砲を持つ人、空手を習う人などなどいる。
そしてそれによって歩く場所も違ってくることになると。
そのために「ご縁がない」こともある。

「形は違いますが、心は同じでございましょ?旦那さまと奥様は、武装を解けば同じ心をお持ちなんでございますよ。ただ、あわなかっただけでございます。時間はかかっても、いつかはきっとわかっていただけますよ。」(192ページ)。


以前就職活動の際、面接を受けさせていただいたことがありますが、正直その面接官に怒りを覚え、恨んでいたことがありました。
人が話している際に発言を遮って質問をされたり、最初から怒り気味で質問をされたりしたために、この面接官は何様なんだろうなと思っていました。
しかしこのハナの言葉でなんとなくですが、面接官には面接官なりの正義と言いますか、その仕事に対しての誇りをもちその観点から、私の何かを見抜こうとしていたのでしょう。

でもそのやり方が私には通じなかったというか、理解が得られなかっただけだし、私には理解しきれなかっただけなのかなと。
結果、恨む必要はないというか恨むだけ無駄なのかなと思えてきました。
まあ私自身がまだまだ未熟なので完全に恨みや怒りを消すことはできませんが、囚われる必要はないなと感じています。




とまあ、本文とは関係ないと言いますか、推理に関する考察めいたものはない感想になりましたが、このあたりで終わろうと思います。

私ちゃすいの想いが先行する形になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

次回も読んでいただけると幸いです。

それでは失礼します。


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