『土鍋で珈琲を淹れたら色々解決した』 主婦の楽園「百合珈琲」の話
兵庫県宝塚市には「小林」という駅がある。
「小林」と書いて「おばやし」と読む。
阪急電車の創設者であり、元テニスプレーヤーの松岡修造さんの曽祖父、小林一三さんに縁があると思いきやそんなことはない。
映画にもなった有川ひろさんの小説「阪急電車」で舞台になったことがあるものの、本当に知る人しか知らない駅である。
宝塚といえば「宝塚歌劇」
県外の人からは華やかなイメージが先に立つけれど、それは本当に歌劇場のある周辺に限られている。
私は大学生の頃、宝塚歌劇を農協のバスツアーで観に来られる観光客の集合写真を撮って売るアルバイトをしていたこともある。
「おきれいに撮れてますよ」とバスの中に入って売りに行くのだけど、機嫌の悪そうなオバさまに「そんなこと思ってもないくせに!」と怒鳴られた思い出もある。
それはともかく、観光客は歌劇場直結の大きな駐車場に高速道路からアクセスし、観劇し、すぐバスでどこかへ運ばれていく。
住む人からすれば、歌劇は身近なようで生活には密接には関わっていない。
基本的に地味で穏やかな地域である。
そんな宝塚市の駅の中でも小林は再開発の手を逃れ下町の雰囲気を残している。、いまだに商業の中心地はイズミヤさん。
そんな小林駅から更に10分ほど歩いた場所に「百合珈琲」はある。
創業は1960年。
先代の奥さんの着古したコートを売ったお金を手付金にし、奥さんの名前「百合 加代子」から頭文字をとって「ユカ珈琲」という名前でスタート。
二坪ちょっとの小さな喫茶店は、自家焙煎珈琲を出す珍しいお店として賑わい、
「トースト用の食パンが一日に100本でも足りなかったり、
片づける暇も無くお客様の足元に落としていったおしぼりが、閉店の頃には山のように積まれ足の踏み場もなかった」そう。
大阪の西成ではじまったお店は、ほどなく宝塚の今の土地に移って「大洋コーヒー」という名前で営業を続けてきた。
そして、1999年。
焙煎技術も確立していなかった頃に大変な苦労をして作り上げてきた珈琲。
そして、今では作られなくなった厚釜の焙煎機をずっと守り続けて行きたい。
そんな想いから娘である久保田千佳さんが、旧姓である「百合」を名前につけ「百合珈琲」という名前で後を継いだ。
そう。
ここまでは伝統ある珈琲屋さんのストーリー。
いまから14年ほど前に、久保田さんがお店を継いで店構えを新しくした頃に大学生だった私は、社会人になってもよく遊びにいっていた。
ただ転勤で、東京や大阪、福岡等を転々としている間は全然遊びに行くこともできていなかった。
だから、数年ぶりに訪れた時に、ランチは予約をしないと入れないお店になっていることには驚いた。
店の前にはお客さんの自転車が並び、お店の中は主婦のみなさんが和気あいあいと盛り上がっている。
少し離れた隣の市からも外車で来られるお客さんも少なくないらしい。
店内のスタッフは主婦と女子大生で、焙煎もオーナーの久保田さんがされている。
女性客をここまで集めるのは、男性のこだわりの世界というイメージが比較的根強いコーヒーの世界において、女性だけでお店をきりもりしていることも理由のひとつなのだろう。
お昼のサンドイッチもボリュームにあふれ、自家製のケーキもコーヒーによく合う。
すごい。
すごいぞ百合珈琲。
こだわりのコーヒーを淹れながら、料理もするのはとても大変な作業と聞く。
一体どうやってお店をまわしてるんだ?
ふと気になって、オーナーの久保田さんに訊くと、予想外の答えが返ってきた。
「ああ。そういえば山下くんの仕入れてきた土鍋が役に立ってるんやで」
・・・
ん?
土鍋?
「そうやで。うちの店、土鍋で珈琲を淹れてるねん」
そう言われてみれば、土鍋には見覚えがあった。
ナガオカケンメイさんのD&DEPARTMENTでも取り扱われていたあたため用の土鍋。
その窯元さんと知り合いになり、どこかカフェみたいなおしゃれな場所で使ってもらえないかなと相談を受けた私。
仲のよい百合珈琲さんにシチューやホットミルクとかに使えないかな?と言って紹介したことがあった。
それが。
こんな形で、珈琲を淹れる役割を果たすことになっていたとは・・・。
世の中本当に何がどうつながるかわからないとその話を聞いた時にしみじみ思いました。
手順は以下の通り。
①土鍋に沸かしたお湯と挽いたコーヒー豆を投入
②4分間放置
③4分経ったらネル(布)で濾す
④少しぬるくなっているので、再加熱
⑤完成
簡単。
実に簡単。
工程は経るし、ネルドリップ用の布の管理とか、再加熱とかは多少面倒だけど、丁寧にやりさえすれば誰でもできる。
出汁のとりかたにもどこか似ている。
ただ、この手法も実はオリジナルではないそう。
そもそも、先代の久保田さんのお父さんは、アルミ鍋で同じことをされていたらしい。
コーヒー豆が大量生産の結果、品質を落とす前の時代は、コーヒーの粉をお湯につけておいて、ネル(布)で濾すだけで十分に美味しいコーヒーが提供できていた。
それが、品質が落ちるにつれてエグみや雑味が出やすくなり、ペーパードリップ等の抽出時間が短く雑味などが出にくい形の抽出に移行していった。
それが今、スペシャリティコーヒーという品質の高いコーヒー豆が日本にも流通するようになって改めてできるようになったと久保田さんは言う。
ちなみに土鍋は、金属製のアルミ鍋と違って保温能力に優れており、4分間の抽出中の温度が安定しやすいことから重宝しているということだった。
近い手法としてはフレンチプレスなどがあげられるが、粉っぽさがあるために日本人にとっては気軽に楽しめる抽出方法になっていると久保田さんは話す。
そして、何よりこの方法。
『放置できる』ことと、『誰でもできる』ことがカフェのオペレーションに大きな影響を与えている。
これは、前職でお店の店長をしていた私にとってはすごく面白く感じられるところ。
4分間、タイマーをセットして『放置できる』のであれば、ドリップコーヒーのように手を止める必要がない。
タイマーがなるまではほったらかしにして料理の準備をすすめることができるから、動きはとても効率的になる。
そして、『誰でもできる』のであれば、ドリップコーヒーのように技術の修練も必要がない。
バイト2日目の女子大生でも同じ味が出せると久保田さんは笑っているけれど、結構驚異的なメリットである。
この方法でコーヒーを淹れていることは、お客さんにも知ってる人が少なく、みんな美味しいといいながら笑って帰っていく風景を見ているのはとてもおもしろい。
そんな百合珈琲さんと昨年から組んで、面白いことをやろうと試している。
友人のデザイナーと組んで見直したロゴマークは、実は土鍋を上からみた様子で、久保田さんは「これで世界が見える」と豪快に笑っていた。
無印良品 グランフロント大阪で土鍋珈琲のワークショップ等も行いながら、久保田さんは土鍋珈琲の方法を広めようとしている。
「美味しい珈琲を淹れるのに、技術や設備投資は必ずしも必要ではない」
伝統ある珈琲屋さんでありながら、久保田さんは土鍋でコーヒーを淹れるというユニークな方法を勧めている。
久保田さんはよく、この方法が「世界一おいしいコーヒーの淹れ方やねん!」といい放つ。
それは、味への自信もさることながら、「気取らなくて楽に美味しいコーヒーがのめれば最高やん」というおおらかなメッセージが感じられてこちらまで笑顔になる。
コーヒーの淹れ方も教えてもらえるので、行ったことのない方はぜひ遊びにいってほしい。(夕方以降は落ち着いていておすすめ)
いつか、日本中に土鍋でコーヒーを淹れるおうちやカフェが広まったら・・・
そんな久保田さんの壮大な野望を、私は応援している。
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