見出し画像

スターシップ・トゥルーパーズ(1997年製作の映画)

鑑賞:2020/12/20、記事公開:2021/4/8
監督:ポール・ヴァーホーヴェン、脚本:エドワード・ニューマイヤー

初見は公開時。「そういえば原作も読んだしどんなだったっけ」と思いチラ見したら面白そうだったので、改めてちゃんと鑑賞。


初めて見たときはただただあっけにとられただけだったと思い出した。今見るとかなり面白い。
なんというか、この映画の持つ残酷さや悪趣味さは、ただそれを目的とした表現「お調子者が体が真っ二つになってざまぁ」とか、そういうことではなく、戦場のリアルってこういうことだよね。という考えの延長線上にあるように感じた。

ハイラインの「宇宙の戦士」はもう忘れたけど、戦争というう暴力を振るう力を持つことの権利と義務のようなことがテーマになっていたような気がする。
戦争の善悪や功罪という“戦争”にフォーカスした書き方ではなく、共同体を運営する上で“手段の一つとしての戦争”と、その「“手段としての戦争”に自分の命をかけること」と「“手段としての戦争”と“所属する社会”との関係や価値のあり様」という様なことが描かれていて面白かった様な気がする。
小説中では兵役を経験したものが参政権を持つことになっていてその理由も書かれていたと思う。ノブレス・オブリージュのような価値観の話もあったような。

それをふまえるとバーホーベン(悪趣味な表現が持ち味の監督でもあるので、“監督個人の趣味”と“テーマが必要とする表現”が結果的に重なってしまって若干ややこしい)は戦争のリアリズムを表現しているのではないかと思う。
戦争がいかに残酷かを思い知らせるために登場人物に残酷な死に方をするさせているわけではないように思える。
英雄は死ぬし友人も恩人も死ぬときは死ぬ。司令部のミスでも死ぬし、無謀な作戦でも死ぬ。それは多分戦争がそういうものだからで、戦争そのものにはいいも悪いもない。そういうリアリズムを表現したかったのではないかと思う。家からショッピングモールまで車で買い物に行く。途中で事故にあって死ぬかもしれないし、誰かを轢き殺してしまうかもしれない。けれども、荷物を持って帰るには最適だし、事故の可能性は極めて低いから車を利用する。事故の確率は低いけど、子供を轢き殺したりするときはする。でも車をいちいちいいか悪いかは考えない。人を殺す可能性があることは誰もが知っており、その事実も含めて車だし、移動し荷物を運ぶための道具として使っている。

テーマ的なところも面白いが映像もすごかった。これほどVFXとCGのシーンが長かったとは。ストップモーションや人形とCG、CG合成の混合具合はかなり熟している時期の作品ではないだろうか。ジュラシックパークシリーズよりも複雑な合成カットが大量にある気がする。
巨大宇宙船が半分になるシーンでも、船の層に分かれた断面をちゃんと見せてたりとか、意外なところに異常なまでの作り込みがされてたりして驚いた。同じく昆虫生物の作りや死体、脳みそを吸われる時の表情など、何を目指しているのかはわからないがとてもきめ細かく作り込まれていて、映画自体の人が雑に死んで行くイメージとは真逆でおもしろい。このことからも、人がボンボン殺されて行くのは、雑なのではなくそうしようとしてそうしているのだと思う。

ストーリーは結構駆け足で終わりまで行くので、唐突に偉くなっていったりいきなり歴戦の兵士になったりしてちょっと戸惑うけど仕方ない。
バーホーベンすごい。初見とは違う見え方ができて、より作品を楽しめた気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?