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子供は誰でもサイキック

サイキック能力は誰でも普段から自然に使っている。

特別なものではない、普通の脳力。

ただ、感度が薄い濃いはある。

この世では肉体重視の世界だから、サイキックを必要としなくても生きていけるかもしれない。

しかし、知らない間に誰でも使っているし、気づかないだけなのだと思う。

意識で認知してる人もいるけれど、意識なく生きてる人もいる。

しかし、今までよりもっと意識的に能力を伸ばせるならその方が便利なのではと思う。

何故なら、この時代は様々な情報が飛び交っている。

例えば大衆を惑わし、不安や恐れを植えつけられ、思考を一定方向に先導し、自分には削ぐ会わない生き方を強いられているかもしれないから。

情報社会の中で、正しいとか間違いとかに拘り過ぎるのも危険のような気がする。

そこに執着し過ぎると大事なものを見失うのではないかと思うから。

目の前の出来事に囚われる事は、本来の自分から離れることになりかねない。

白黒を決めようのする時、過去からの誰かからの強い影響力によるものに過ぎないことも多い。

本当の事は自分にしか分からない。

全て自分の感情や感覚を自分の目の前に暴き出し、自分で考えなければならない。

幼い頃、自分が感じる事を発見し、何も考えず言葉にした時、大人から却下された経験は誰でも多少はあったのではなかろうか。

社会に従順に、そして大人の言う事を聞かなければならなくなって、上手く説得させられ、それに言う事を聞く子もいれば、反発する子もいる。

言う事を聞く子は良い子、反発する子はダメな子、とレッテルをはられ、優劣で嫌な感覚を植え付けられる。

子供は楽しい事や笑い、自由や優しい事が大好きなのに。

頭で考えるより先に感情や感覚に従って何かを発しているのに。

しかし、目の前にある現実や出来事、人間達に影響され、本来の自分を忘れてしまい、次第に他に翻弄され生きるようになる。

そう仕向けられるからだ。

幼い子供は生まれた時から、誰でも純真無垢なサイキッカーの持ち主だったのに。

その能力を、教育という名でねじ伏せられてることが多い。

大人の言う事が、何かがおかしいと感じていても、この世に上手く合わせて生きる為に、演技しなければならないことをだんだんと学ばなければならなくなる。

今の大人も、どうしてもおかしいと感じる心を捨てきれない為、この世界の閉鎖的な感覚から脱出したいと願い、

或いはこの世界に自分を合わせ生きてくしか無い、と諦めの境地で、本物の感情をひた隠しに隠してきたかもしれない。

大人になる事は我慢する事、本当の感情を深く穴を掘って埋める事。

子供から大人になるにつれ、自分が感じる進みたい方向があっても、社会の法則に沿って嫌なことやりたくない事を、多勢に合わせた方が無難とばかり、右ならえで外れることなく、安心感を得られるような勘違いで生きている。

しかし、いつしか自分の心が置き去りにされたような感覚を、幾度となく感じ、苦痛を感じることが必ずある。

人間は秩序を乱さない為の最低限の道徳というものを自然に持ち合わせ生きている人が殆どだと思うが、

人は生まれた時から、道徳が自分にとって正しいかどうかなんていちいち考えず、それが一般常識!と思い込んで生きている。

そもそも道徳とはどこからきたのだろう。

それはなんの為の道徳なのか、誰が決めたのか?

誰が決めたものに従わなければないならない、本当の理由はなんなのか?

秩序を乱さない為?

それは本当なのか?

人間がどこからきたのか、何故存在するのかや宇宙を調べれば全てがわかる事。

人間が太古の昔から実験台とされてる事を、薄々勘づいてる人はだんだん多くなってきた。

多勢に合わすのが嫌で輪の中からはみ出し、変わった人間と思われても、好きなように人生を生きるのは個人の自由。

何を選択していくかは、誰の許可も必要なく全て自由なのだ。

それなのに、人間はある一部の支配層に従い自ら奴隷のように生きている。

混沌とした世の中にになればなるほど、それに気付き始める人が沢山出てくる。

そして、それを阻止するかのように、また支配層はあらゆる手を使って封じ込めようとしてくる。

しかし、もうわかりきってる人達は騙されたりしない。

今迄自分を殺し我慢し、多勢に流され生きてきた事にうんざりしていたのだから。

一時の疎外間を感じても、閉鎖的な場所から離れ、自分の居場所を探し心地良さをいつまでも見つけたくなる。

それが子供の頃に感じていたその人の中にある直感やサイキック的な要素を引き寄せる鍵。

そしてそれはとても懐かしく感じる。

何か自分の分身が自分にぴったりハマったような感触を味わうかもしれない。

そのピッタリハマった感覚を得るまで、魂は本来の自分を求め続け、必ず見つけ出す。

肉体が滅んでも魂は永遠だからだ。