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天風哲学で学ぶ社長のあるべき姿13-1

企業の存在意義を考える(13-1)
株式会社の原則の一つに「所有と経営の分離」があるが、このことは会社の所有者と経営者(代表者)が一体でなく分離していることをいう。株式会社の仕組みは、会社の規模が大きくなればなるほど多くの人たちから資金を集めて経営することができる。
 
上場会社などでは資金の調達が不特定多数から集めることができるという利点があるが、反面、高い配当を出し続けなければならない。また、経営能力に優れた経営者を外部から招聘できるというメリットもある。
大手企業になれば、会社経営に携わる者は、より専門的な知識や能力が必要になることから株主以外から、あるいは外部から選ばれるのが一般的である。
 
しかし、中小企業とりわけ小規模の会社はどうだろうか。ほとんどの中小会社にみられるのが、家族や身内が社長や役員を務めている。会社を同族で守り、他人の影響を避けようとする力が働くからである。
そのために同族で半数以上の株式を所有し、所有と経営を一体化している。ここに株式会社の原則から外れ、この仕組みが中小規模の強みでもあり、また会社の成績悪化時に露呈し、より厳しい状態に陥ることもある。
 
会社は誰のものかを考えると、法的には株主が所有者である。したがって、中小規模の会社は株主=社長であるから、廃業しようと休業しようと社長の自由意思で決まることになる。
一方、「企業は社会の公器」であるといわれている。会社は従業員や取引先、あるいは社会全体に対し貢献していかねばならないという責任と義務があるが、中小企業の場合は社長がその公器という自覚なければ公器とは言えない。
 
会社法では株主によって取締役が選任され、取締役会で代表たる社長が選任されることになる。しかし、株数の半数以上を有している社長(あるいは身内)は、一度社長に就いたなら自らの意思以外で社長を解任することができないのである。
企業の存続や成長は社長の器、すなわち社長の考え方、資質、心構えなどで決定づけられるので、社長たる資質等がない者が社長に就いた場合は悲惨である。
 
経営に問題がある会社の原因を探求していくと、最後は必ずといっていいほど社長自身の問題に突き当たる。社長を代えたいと思っても法的(会社法)には無理である。
大企業であれば即刻、株主総会を開いて社長の責任を追及し解任するのが可能なのだが・・・。
 
2005年5月に施行された「会社法」によって資本金1円でも設立できるようになった。さすがに1円の資本金の会社はほとんどないが、10万円、50万円、100万円程度の会社は数多く設立され、今後も多くの会社が設立されるであろうと思われる。
創業が増えていくことは喜ばしいことであるが、安易に法人化し結局は途中で廃業していく姿がみられる。社長たる資質等が備わっていない会社の乱立は社会全体の損失につながっていくものである。
 
前述したように中小企業の多くは、株式の50%以上を身内が所有している。その理由の多くは創業時に多くの株主を集める困難さもあるが、他の者(他社)に乗っ取られないための防御策が働いているとの見方もできる。
ある意味では正しいことはあるが、社長たる資質がないものがいつまでも居残る理由にもなっている。それだけに中小企業の社長の責任は重いことを肝に銘じなければならない。

現在の私は、主に廃業相談を受けているが、今年(2024年)に入り、合同会社の相談が多く、破産に導いた件数が増加している。このことは何を意味するかを考えてみた、ほとんどの会社が創業後5~7年程度である。
法人化の手続きが簡単、あるいは費用が安価であるなどの単純な発想からの結果でもある。
 つづく
 


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