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マーマは冥界にいない―氷河の成長譚として見る「聖闘士星矢」

「聖闘士星矢」の文庫版とジャンプコミックス(JC)の比較をちまちましております。この2つはだいたい一緒ですが細かいセリフがちょくちょく違っているんです。(その比較の話はまた後日。)その中でハッと気づいたのが、「死んだら会えないマーマ」のこと。
 
※以下、盛大にネタバレしていますのでご注意!!!

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・マーマに会う、とは?

「母親にあいたくはないのか!!」(文庫版6巻306ページ)
「こんな所で死にたいのか 母親にあいたくはないのか!!」(JC11巻144ページ)
 
東シベリアの吹雪の中、修行中に倒れた氷河にカミュがかけた言葉。幼児(8歳)に無茶苦茶を言う少年(14歳)である。
 
文庫版とジャンプコミックスを並べて読んでいると、このくらいのセリフのカットはけっこう見つかる。特にここは改めて眺めると気になることがあった。
 
氷河のマーマは死んで、冷たい海の底。
普通なら、「死んだらマーマと同じところに行ける、死んだらマーマに会える」となりそうなもの。
「死んだらマーマに会えない」とは……??
 
これは我らが師カミュがおかしいのではない。カミュは単に氷河の気持ちに寄り添ってくれているだけである。「そんな甘い考えだと死ぬ」とか言いながら、結局優しいんだよなあ。好き。
 
氷河が聖闘士になる目的は、シベリアの海に沈んだマーマの遺体を引き上げることだった。たぶんどこかの時点で「遺体を引き上げたら腐ってしまう」ことに気づいただろう。途中から、凍れる海に潜ってマーマを目にすることが目的となっている。
氷河にとって「マーマと会う」、とは、死んで天国に行ってマーマに会う、という意味ではなく、今や死体となった、しかし永遠に美しいマーマをこの世で見る、ということだった。
こんな辛い人生なら、早く死んでマーマと同じところに行きたい、と考えなかったところに、既に聖闘士としての資質というか、類まれなファイティングスピリットが見える気もする。
 
だから、氷河は冥界に行ってもマーマの姿を求めない。氷河が会いたいマーマは、冥界にはいないのだ。
 
氷河は十二宮編→ポセイドン編ではまだ甘ちゃんだったが、ハーデス編では立派に自立した姿を見せる。もう二度とマーマに会いに海に潜ることはしない、と言う。聖闘士としての力を私的なことに使うのはやめる。彼は大人になったのだ。
 

・カミュの二度目の死に見える氷河の成長

氷河の最後のドラマは文庫版でいうと12巻、消えゆくカミュに駆け寄るそのシーンで実質終わる、ように思える。 

魔王の城に囚われたカミュを助けにくる氷河の薄い本は絶対世に出たことがあるはず

ここでも例によって例のごとく、カミュはほとんど何も語らない。氷河にほほえみかけるだけである。シュラはなんだかんだ紫龍にエールを送っていくが、カミュは氷河が来てくれたのを認めて満足して去る。
 
(カエルのおっさんにさんざん虐げられた挙句、朝日に照らされて灰となって消えるというこの儚さ……聖闘士星矢世界における最大の「薄幸の美少女ヒロイン」はカミュに他ならない……好き)
 
カミュがあのような去り方をしたのも、氷河の成長ぶりを証している。氷河はもう大丈夫。すべてを託してなんの心残りもない、そういう去り方だ。ほとんどセリフなしでそれを伝えきる車田先生のシナリオ作りには敬服するしかない。
 
ここで氷河がべそべそ泣かないのもいい。星矢、瞬、紫龍は滝涙を流しているのだが、氷河の涙はちょっと目を潤ませる程度。繊細な描写である。立派に育ったなおまえ……カミュ先生よかったね……と私が泣かされてしまう。
 
ハーデス編の残りは、瞬と一輝の物語、そして最後に星矢と姉さん(と沙織さん)の物語で締めくくられる。氷河は師に託された使命を全うすることに集中している。
(なお、紫龍は5人の中でほぼ唯一ステディのいる男であり、春麗との関係は極めて安定していてドラマも必要ない)
 
氷河にとって大事な人はみんな死んでしまった。氷河を生かすために。
彼は最後に誰のために戦ったのか。きっと、氷河に命を託してくれたマーマ、カミュ、アイザックのためだったんだろう。彼らの魂は、氷河の中に生きているのだから。
 

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