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「怪獣のバラード」によせて

児童合唱のよさ、って抗いがたいものがあると思うんですね。
 
曲そのもののよさっていうのがもちろんあるし、
それを子ども、少年少女が歌うときの、
あの巧まざる歌いぶりが、
どうしようもなく大人の心を揺さぶる。
 
私自身も児童合唱団に所属していたので、
そのような、大人を感動させる一人であったのですが、
 
「子どもが澄んだ声で歌うのを聴くと、大人は涙が出ちゃうのよ」
 
という言葉を聞いて、
「そんなものかなあ」と思っていました。
 
「そうなんだよなあ」と思うようになると、
それはもう子どもではないということで。

海が見たい 人を愛したい
怪獣にも心はあるのさ
出かけよう 砂漠捨てて 
愛と海のあるところ

怪獣のバラード

この名曲を、私は一度も歌ったことがないんです。
今、歌おうとしても無理かもしれない。
これは曲がよすぎる。涙が出て、声がつまる。
 
明るい、影のない音楽。
そこにこの歌詞がのっているって、反則じゃないですか?
 
私はいかにも悲しそうな曲より、
こういう底抜けに明るい曲の方が涙が出る。
なんという純粋さ。
希望をそのまま、まじりけなしに抱く心、そのえがたさを思うときに、
あまりにもこの曲はまぶしすぎる。
 
子どもは何を思って「怪獣のバラード」を歌うんだろう。
大人の後知恵で見苦しいばかりですが、
子どもは怪獣に、自然と自分を重ねられるんじゃないか。
 
砂漠にひとりすむ怪獣。
怪獣は、そこで不幸ではなかったはずです。「のんびり暮らしてた」んだから。
しかし、人の気配がする。
「キャラバンの鈴の音」。

海が見たい 人を愛したい

怪獣は初めて、自分に「心」があることを知る。
自分に「望み」があることを知る。
 
 
子どものころ、自分はみんなとは違うんじゃないか、って
誰しも思ったことがあるはずで。
自分を大きくとらえる方向に行く子もいるだろうけど、
自分はみんなと違って……と不安になったり、孤独感を覚える子も多いと思うんです。
みんなと違う「私」は、いわば「怪獣」です。

怪獣にも 心はあるのさ

歌の中で、怪獣は新たな世界を求め、愛を求め、旅立ちます。
今、ここじゃない、「新しい太陽」が燃える世界へ。
 
 
これは、今でも自分が「怪獣」のように思える、
ひとりの「大人」とされる私が、歌わないで考えたことです。
 
歌ったことがあってもなくても、この曲に思い入れがある人は多くて、
ちょっと見ただけでもたくさんの方が語っておられます。
そのうちの一つに加わりたいなと思って書きました。
 

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