見出し画像

1996年冬、ユダヤ教徒のハヌカパーティーに招かれて

昨日クリスマス/ホリデーカードについて書いたが、この時期アメリカにおけるもうひとつの大きなイベント・ハヌカについて紹介したい。

大学院入学のためニューヨークに来たのが1995年、秋。翌年 “Contemporary History of Israel” というクラスを取った。

アメリカにできるだけ長く住みたいと思っていた私にとって、ユダヤ教・イスラエル関連は絶対に外せないトピックだと思ったからだ。

授業を受けるにあたり、先生のことなどまったく気にしていなかったのだが、担当教授が超・超・超大物だったので驚いた。

その名は、Rabbi Authur Hertzberg。興味ある方はぜひググってみてほしい。

ハーツバーグ先生は長年コロンビアで教鞭をとっていたが、数年前にNYUに移ってきていた。大学や大学院で教えながら、現役のラビ(英語発音ではラバイ: ユダヤ教伝道者)でもあった。

元全米ユダヤ教協会代表で著書数知れず、ユダヤ系家庭には必ず先生の本が最低一冊は置いてあるそうだ。

NYUの向かいにYeshiva Universityというユダヤ系の大学があり、ハーツバーグ先生は当然そこでも教えていた。

アメリカの大学はよその大学同士で図書館の提携をしており、どのクラスでも他の大学の図書館で本を借りることはよくあった。

ハーツバーグ先生がある日「Yeshiva大学の図書館に行ってXXXという本を借りてきて読むように」とおっしゃった。

Yeshiva大図書館へ行き「ハーツバーグ先生のクラスを取っているものです。この本を探しています」と図書館員に訊ねたら、「おお、ハーツバーグ先生の学生さんですか。こちらでございます」と違うフロアに案内された。

エレベーターに乗り別階へ移動しながら「どこまで連れて行かれるんだろう」と思っていたら、図書館内のどデカい部屋に通された。

そこは図書館内のハーツバーグ先生専用の図書室だった。

そこは田舎の町の図書館と同じくらいのサイズだった。「それではごゆっくり本をお探しください」と言って係員は去っていった。

先生ビッグすぎる😅

クラスには「先生のような立派なラバイになりたいです」と弟子入り志願のチョー真面目そうなユダヤ人学生が何人もいた。

クラスは15人くらいでユダヤ系と非ユダヤ系が半々くらいだった。ユダヤ教の知識においてはまるでメジャーリーガーと幼稚園児以上の差があった。

非ユダヤ系のクラスメートがある日公立図書館を訪れ「ハーツバーグ先生の本を探しているのですが」と女性図書館員に訊ねたら「えー先生のクラスを取っているんですか?」と感激され、先生がいかにすごい人かという話を延々ときかされたそうだ。

先生はポーランド生まれのユダヤ人で、小さい頃アメリカに移住してホロコーストを逃れたが、多くの親戚が犠牲になったと話してくれた。

身体は小柄だったが大きく、遠くまでよく通る声だった。

そんな先生がハヌカパーティーに招いてくれた。ハヌカとはユダヤ教徒のクリスマスのような休日で「光の祭り」と呼ばれる。

毎年12月のいつかになるがユダヤカレンダーなので年によって日付が変わる。2023年は12月15日からで8日間続く。

メノーラという蝋燭台に毎夜一つずつ火を灯し、8個の蝋燭がいっぱいになると最後に真ん中の大きな蝋燭に火を点ける。

初日から小さなギフトが毎晩もらえ、最終日には一番大きなプレゼントがもらえるそうだ。

先生主催のハヌカパーティーは、たくさん人が来ていて200人くらいいたように思う。

先生のオープニングスピーチに続いて「光の歌」なるものが歌われる。われわれ数名の非ユダヤ人は、喜々として大合唱するユダヤ系クラスメートに圧倒されながらただ狼狽するのみで「わかったけん、早よ終わってつかあさい」と祈るばかりであった。

ハヌカの料理イスラエルのビールなども振る舞われ、大賑わいであった。

ずっとあとで知ったが、先生は2006年に亡くなられていた。

最初のクラスに感銘を受けた私は、翌セメスターでも先生のクラスを取り、両方ともAの成績をいただいた。

渡米最初の頃は英語力も覚束ず大変だったが、根気よく指導していただき感謝の念に絶えない。

ハヌカソングはいまだに歌えないけど😉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?