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PRIDE・DREAM派から見た「山本KIDの愛と夢 〜IT WAS ALL A DREAM〜」

U-NEXT配信。「山本KIDの愛と夢 〜IT WAS ALL A DREAM〜」を見る。
当時はK-1・HERO'SよりPRIDE派。Dynamite!!より男祭りだった高校生の自分にもその姿は眩しくギラギラと輝いていた。

K-1デビュー戦の村浜武洋戦が2004年3月、あの宮田和幸戦4秒KOが2006年5月。後に肘を負傷するレスリング復帰が同年7月なので全盛期と言える期間は2年ほど。短く一瞬の間を駆け抜けた選手人生だったと言える。

去年公開の「アントニオ猪木をさがして」と同じで、個人の遍歴からどの部分を取り上げるかで、描き切れない話(IGFや倍賞美津子さんのエピソード等)も出てくる。全部を収められないのは予め承知してたが、合格点だった。

興味深い証言が多い。

村浜戦に向けて渡邊会長の元を訪ねた際、会長が型にはめるのではなく、そのままの身体能力を活かした戦法を勧めた事。大晦日の魔裟斗戦1Rダウンを取った左ストレートがタイ稽古で授かった秘策だった事。宮田戦の膝は前日の閃きだった事。。身体能力と閃きに加え、KIDは指導者にも恵まれていたと伺える。

山本篤が出てたのにも驚いた。KIDが前十字靭帯断裂・長期欠場中にDREAM参戦。当時対戦を熱望していた所英男に対し送り込まれた刺客としてフェザー級GPの1回戦で圧勝。試合後の腕立てパフォーマンスは憎らしかった。3年後のバンタム級JAPAN GPでリベンジを許し、その後KIDと袂を分かった。今回、久々に姿を見た。

DREAMの頃のKIDは離婚含め公私共に上手くいかない苛立ちからか、荒れた態度が目立っていた。呆然とする所の頭をポンポン叩いて放った言葉に所は控室で号泣したという。何言ったかは不明だが存在を全否定される言葉だったらしい。再戦の判定に納得いかず退場時に罵る、修斗の会場で審判に蹴り入れると、そのやんちゃぶりと仲間想いの性格が悪い方向に出ていた。

DREAMからKIDを追いかけ続けた所の歩みはRIZINに至るまで10年以上続いた道程であり、その訃報で引退を考えた彼を姉の山本美憂が励まして現役続行を決意した話も凄く物語性を感じるので、この話も特集して欲しかったというのはある。

タイトルにある「IT WAS ALL A DREAM」はKIDが生涯最後に彫ったタトゥーにある文章。直訳すると「夢だった」。幸せな人生だったという満足感だったのか、夢から醒めた病床に悟った諦念だったのか。ただ、在りし日を語る美憂が常に笑顔で、家族を愛し愛された幸せな最期だったのだろうと思える内容になっていた。

今のRIZIN、朝倉兄弟から入った人も是非。4月に王座戦を控える金原正徳が語るMMAの道標、弱点を補う話は、自分が応援する選手に照らし合わせて見た時に見識を広げられる見方だと思う。

最後に。HERO'Sの試合を語る前田日明。恐らく本人なりに意識して、聞き取れるようにゆっくり話そうとしてるのだが、熱が入ると(例の如く)滑舌が悪くなるので何度か巻き戻した。

そして窪塚洋介のナレーションは格好良かった。

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