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アラフォーからアラフィフになる自分へ

今日(2020年6月3日)は僕の誕生日。今日からボクはアラフィフの仲間入り。アラフォーではない、ここが重要。

実際に本当に50代になったときに自分がこの文章を思い返すことを想定して5年後の自分に向けたメッセージを書いてみたいと思う。

40になったとき、僕はそれまで働いていた上場企業の役員をやめ、再び起業家の道を選択した。あれから5年がたち、3回ほど事業をピポットし、ついてきた仲間が離反したり再結成したりといろいろあった。

そして自ら創業した会社を自分が離れる結論をしたのが昨年秋の頃。

あれから40代後半をどう生きていくべきか、誕生日がくるまでに考え抜こうと決めて早半年が過ぎた。

そして半年の間、新型コロナウイルスの感染症の猛威が全世界を襲い、ぼくたちの物事の進め方や今後の見通しが大きく変わる「大事件」が起こった。

40代後半はそこで下記のようなテーマを決めてやっていこうかなと思っている。

①よいサービスは人生で3つぐらいしか作れない。残すはあと一つぐらいだと心得てそれを40代後半に見つけよう。プロダクトは早く作る必要はなくて焦る必要はないのだから。

光本さんの本に書いてあるんだけど、よいC向けのプロダクトはどんどん育てたり大きくしたり事業として成功させる難易度は上がっている。アイディアがよいかではなく、続けられるかが重要になってきている。

続けられるというのは「資金が投下しつづけられる」「プロデューサーとしてめげずにやれる」「ユーザーの流入が相対的に優位な形で続く(市場がグロースしている)」ことが重要で、サービスが事業として世に残れるぐらいになるには10年ぐらいのサイクルで考える必要がある。

もっとも、これがイメージ通り出来なかったから僕は2015年から5年余り3回ピポットしてきたけれど、結果としてプロダクトを残せなかったのだ。

焦り過ぎるのとタイミングがずれている、というのがプロダクトを世の中に出していく時にやっていはいけない最も重要なポイントだ。

そこを心得て、ここぞというタイミングまで常に準備をしつつ、打席に立ち続けるふりをしつつ打席に立たない。立つときは3つ目のプロダクトを打ち返す「べき」時である。(これまでの人生を振り返った時、1つ目のプロダクトは検索エンジン、2つ目のプロダクトはソーシャルゲームだったのかなと思っている)

次のタイミングは5年に1度ぐらいの大波を打ち返すぐらいのイメージでいよう。50代になるまでに大波が来なかったらこないでそれはそれでよいのだ。

②人生の伴侶である家族や子どもからヒントを貪欲に吸収しよう。

家族と向き合うことのできる何気ない日常の幸せさは、どこか人間を楽な方向にへと誘ってしまう危機感をもってこれまでずっとやってきた。

自分は元来飽き性だからこそやってきた処世術みたいなものだった。ライバルとして意識する存在を身近に置きてきたのも意図的だ。

でもここにきて家族とのコミュニケーションが新しい気づきや発見を生む様になってきたのも事実だ。

2015年に再び起業したとき、East Venturesのインキュベーション施設で仕事をしていたとき、そこに寝泊りするストイックな非凡な若者と同じ土俵に立って、自分は経験者という道具を使って事業をたちあげようとがむしゃらになり過ぎたのかなとと今から考えるとやや反省している。

コンプレックスやライバルの存在が未経験の自らを駆り立てて、本来達成し得ないイノベーションを起こして、すごい場所につれていってくれることがある。

でもおじさんはおじさんの戦い方がある。おじさんにとって家族は間違いなく武器だ。お金や経験意外にこの最強の武器を生かしたプロデューサーとしてよいプロダクトを作れる環境や自己意識、リトマス試験紙(セレンディピティ的ななにか)を整備していこうと思う。

直近だと、5歳の次男もふくめ家族全員がはまっている「どうぶつの森」が何なのかを追求したいところ。

それと任天堂がYouTubeと包括契約をして、任天堂の実況動画・ライブが多数配信されていることと、そういったタイトルがwithコロナ時代に大ヒットしている現実についても考えてみたい。

またこの半年間で家庭内でのデジタル環境の整備を家族と一緒になって行いってきた。

GoPro360度カメラを買ったり、これからのプロデューサーとしての自分自身にとっての生産性改善の切り札「iPad」を使い始めたりといろいなことが起こっているのも、何かこれまで家族とあまり向き合えなかった5年間との違いを感じる。

③早く不惑な40代を確立しよう

2にも書いたんだけど、人生いろいろ経験を積んでくると、いろいろなことにあまり動じなくなってきる自分がわかってくる。これまでの5年間はそれが怖かった。

でもそれこそが100年人生時代に勝ち抜く大切な資質であると考えることにした。それがこの半年間考え抜いた結論だ。論語にある「40代は不惑の世代」とはよくいったものである。

ソフトバンクの孫さんもよくこの話をするらしい。

ある意味経験値や肌感覚や直感は研ぎ澄まされてきているのだから、まわりや若手にさせることなく、淡々とやるべきことをやるべきタイミングでやる。あせってやらない(やる振りをするけれど打席には立たない)みたいなことを意識してやっていこう。

最後に

この書き残しを50歳の誕生日になるとき思いおこすことができたら、そのときの自分に向けて最後にメッセージを送りたいと思う。

1.生き急ぐなよ
2.お金のために仕事をするなよ
3.最後に自分を守ってくれる家族を大事にしろよ

50歳になるとき、自分が自由にできる「城」のようなものができているといいなあと思う。

究極死ぬまでプロダクトを作っていたい自分だったりするので、その時々の技術やマーケティングと向き合いつつ、常にプロダクトを作れ続けられる環境を自ら自由にコントロールできる存在を持てているか、それを自分自身の「城」として持てるようでいたい。

そして黄金の50代を迎えるのだ。50代は人生の集大成として世代を超えて使われる、影響を与えていく結果(となるようなプロダクトを生み出すこと)を残していく、そんな年代でありたい。

追伸:YouTubeで動画でこの記事のテーマについて語って残しておくことにしました。5年後に見た時どう感じるか実験としても面白そうなので。


この記事は「投げ銭」記事です。ポジティブにお金が回る仕組みにしてみたいと思いました。記事をおもしろいと感じてくださった方は「投げ銭」をよろしくお願いします。