シリアルアントレプレナーとして自分が今までやってきたことをふりかえる (その1 25歳ぐらいのころ)

※過去にはてなブログに記載していたものの転載になります。

久しぶりにブログを書いたらかなり長文になったので何回かに分けることにしました。(ブログばかり書いてるわけではありませんのでご安心を)

「起業は繰り返したほうが有利」という記事を読んで、シリアルアントレプレナーとして今後売り出していこうとしている自分がこれまで何をして何を経験してきたのかというのをよい機会なので文章にしてみることにしました。今はあまりインタビューされることも少ない、エフルート・ビットレイティングス時代以前から振り返ってみたいと思います。今回は第一回目です。
 
あまりネット上で表明したことがない内容も多数あるかと思いますが、時間も経っているし特に気にしないようにしてみます。あとあくまで自分なりの視点での振り返りなので、関係当事者の方が読まれた時に、それは違うんじゃないと思われることがあるかもしれませんが、それも気にしないことにします。
 
 
思い起こせば、そもそも自分は起業したり経営したりする人種からは遠い立場にいる人種でした。そんな自分がインターネット業界・モバイル業界に関わることになったのは、1999年の秋ぐらいのことでした。大学院1年の24歳のころです。ウェブデザイナーとして大学院がない週3日はネットバブル特需で仕事をもらう日々だったのですが、その過程で派遣会社から面白そうな派遣先があるということで紹介されたのが2社ありました。一社はリアルネットワークスと、そしてもう一社は自分が関わることになる当時WAP向けブラウザーをKDDに(当時はまだKDDIはなくて正確にはDDIセルラー電話とIDOだった)提供していたphone.comでした。
 
いろいろあって大学院を休学しphone.comで働くことになるわけですが、当時はネットバブルで、そもそもモバイルインターネットなんかよりも、まずはPCインターネットであり、それでも少しずつ立ち上がりつつあったモバイルインターネットの世界でもまだようやく100万人を突破したばかりのimodeにほとんどの人たちが向いていたような時代でした。
 
そんな時代に自分はWAP向けコンテンツのマーケティングの仕事に傾倒していくことになるのですが、あるとき、WAP向けのコンテンツを流通させることを誰もやっていないことに気がつきました。当時OH!NEWというimode向けの検索エンジンがあったのですが、WAP向けはおまけのような存在でまともに向き合っている方はほとんどいませんでした。imodeと違ってKDDIの方々の勝手サイトに対する理解に疑問も感じそれだったら自分でやってみようかといつしか思い立ちました。
 
そこで、週末にインターネット上におちていたperlで書かれたCGIのプログラムを改造して、WAP向けサイトのdirectoryサービスをつくってみました。(このときはじめてCGIを触りました、データベースなんて高尚なものを使うことはせず、csvファイルがデータベースでした)WAP向けサイトの構築方法などをまとめた情報発信をしようとシリコンバレーに出張しているときに、なんとなく思い立って取得しておいたドメイン、wapnavi.netを使ってサービスを提供することにしました。
 
当時ギガヘルツというモバイル業界のコミュニティがあって、そこで知り合いになった人たちが自分でサービスを公開して、事業っぽくしている人たちがいて、個人でプレスリリースを書いたりしてメディアに掲載されているのを参考にして、出してみたところ少しずつニュースにのるようになり、ユーザーが少しずつ増え始めました。
 
本業の仕事とバッティングして怒られるのが嫌だったので、会社に確認して、会社としてはやらないし個人でやっている分には問題がないということになったので、運営改善をしたり、WAPサイトを世の中から探してきてサイト掲載する地道な運営を始めました。2000年の夏のころです。
 
そうしているうちに、いろいろな人から連絡が来るようになりました。広告代理店が広告を掲載したいと連絡して、広告を掲載はじめると、会社員の給料よりも高い収入が入るようになりました。事業として売り上げがあがるというのは、給料としてのお金と単位は同じでも違う種類のお金なんだということを理解し、自分自身の中で、お金の価値の捉え方にいろいろと混乱し、個人事業としてやっていくことをこのまま進めることに悩み始めました。
 
またとある大手ネット企業のモバイル事業責任者の方から私が運営しているサービスを数千万円で買収したいという話をもちかけられました。当時貯金が数十万円しかない自分にはびっくりな話です。今風に言うと要はアクハイヤーなわけですが、自分はそんな価値のあることをやってるのか不安になり、そんな大金と引き換えに、それには何か壮大な裏話があるのではと悩みました。
 
そんなとき、ICPという VCの方から連絡があり(当時ICPはカカクコムに投資した直後でオフィスが表参道にあり、まだ穐田さんが社長をされていました)まもなく人生が大きくかわる一つ目の大きな転換がやってくるのでした。(つづく)

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