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20240406散漫な文章

趣味で小説が書けるようになりたいと思っている。思ってから、どれくらい経つだろう。

子供の頃の夢はプロ野球選手か、小説家だった。野球のほうは無理だなと早々にわかったものの、幸か不幸か、新聞記者からはじまり、いまだに文章を書く仕事は続けている。

小説を書けるようになりたい。この世に小説を書ける人間/書けない人間がいるなかで、自分は書ける側でありたいなと考えている。

それは「小説家になりたい」という願望とはちょっと違う。自分が終生上機嫌で生きていくには、自分で小説を書けるようになるしかない、という感じだ。

人に迷惑をかけずに、こっそり、自分で世界を作り、物語を綴り、人知れず締めくくる。こういう無益でなんの足しにもならない作業を、心から楽しめる人間になりたい。

DIYでも、プログラミングでも、物作りに熱中する人の心理は、そんなものかもしれない。生きているうちに、自分だけのピラミッドを作りたいのだ。死んだ後も、ちょっとは残ってくれる何かを残して、生き物としての運命に歯向かう。

自分はときどき、短編小説のちいさなコンクールを見かけては、応募してみている。

数千文字程度の、ささやかなものだ。小説を書ける人間が心から羨ましいと思うくせに、やることといえばこの程度。

なまじ、ライターとして仕事をしてきた弊害だと思っている。誰が読むかわからない文章、誰も読まないかもしれない文章を、書く気にならない。贅沢なものである。

たとえばこんな書きなぐりを表に出すこと自体が、よろしくない気もする。論旨も曖昧で、読まされた側はたまったものではないな、と思いながら書いているのも事実だ。

しかし、一方で自分には「これ」が必要な気もしてくる。

立派なものばかりを成し遂げようとする人間には、ついにたいしたことはできない。ゴミをたくさん書いたなかに、美しい、いつまでも残るような価値ある文章が現れる。人の営みなど、そんなものだ。意図して名作を生むことはできない。

自分が長く携わってきた新聞社は、現場とデスクが協力し、一日一日の原稿を商品として「完成」させて生きていた。

完成品ではない文章を見せることはよくないーーその思い込みを突き崩すための第一歩として、いま、この記事を公開することにする。

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