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ふたつの人類

人類は大きく分けて2種類に分かれると思う。
まず1つは1人で何でもできる人間、そしてもう1つはそうでない人間だ。

ここでいう「できる」と言うのは能力的な意味での「できる」ではなくて、例えば1人映画とか1人カラオケ、1人旅など、1人○○ができると言う意味での「できる」である。

僕は完全に前者に分類される。
ここで僕が書きたいのは「だから1人○○が出来ない奴はダサい」とかそんな短絡的なことではない。
価値観の話だ。

友人で1人○○を一切やったことがない、絶対できないという人がいた。
何故かそれができないのか好奇心から訊ねてみると、シンプルに一人でいるのを見られるのが恥ずかしいから、らしい。

僕はそれを訊いたときただ驚いた。自分とは正反対の価値観を持ち合わせていたからだ。
たしかに、自分が属するコミュニティ(学校や職場)において1人でいるのを見られるのに抵抗を感じるというのはまだ理解出来る。
しかし、自分のことを誰も認識していないようなシチュエーションでもそれが出来ないというのは本当に分からなかった。

そこでちょっとした議論になった。
例えばふとラーメン屋に行きたくなったとする。
そうなった場合どうするかと質問すると、
「友達を誘って、来なければ行くのを諦める」とのことだった。

僕はあっけに取られてしまった。
たかがラーメンを食べるためだけに人と会うためのテンションを作って、身なりもそれなりに整えなければいけないのか、と。
僕が「でも、自分だって1人でラーメン食ってる客みてもなんとも思わないでしょ?気にしすぎなんじゃないかな」と返すと確かに、とは言っていたが心からは納得していないようだった。
そのあともお互いの主張を分かりあえることはなかった。

しかし、同時にあることにも気づいた。
それは、その人が幼少期より築き上げてきた価値観というものは本人にとっての絶対的な柱みたいなもので、それひっくり返すのはたとえ天地がひっくり返っても不可能であるということ、そしてそれをひっくり返すこと自体ナンセンスなのではないか、ということだ。
もしかしたら向こうもまた、僕の言っていたことを本当に不思議に思っていたかもしれない。

僕はこの一件から、誰かと価値観に基づく意見を戦わせるということをしなくなった。