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第1夜 ジョバンニの切符

[編集部からの連載ご案内]
宇宙観=人間が生きる宇宙についての哲学的な見方や考え方のこと。
*  *  *
翻訳者であり、詩人としての顔も持つ高田怜央。本連載は、日々言葉と向き合う書き手が、その眼に映る世界の在り方について、自問自答し、記憶を辿り、歴史に想いを馳せながら思考を巡らせる哲学エッセイです。宇宙のように広大な世界へと誘ってくれる思索の旅へ——今宵、あなたもご一緒しませんか? 第1夜のテーマは「言葉は私たちをどこへ連れていくのか」です。(月1回更新予定)


言葉は私たちをどこへ連れていくのか

しづかな夜
ねむりかけた私を
ゆすりおこして
かずかずの星を指さし
わたしにうたをつくらせたひと

中井英夫『水星の騎士』

人は死んだら星になるという。古代ローマの哲学者、キケロはかつてそう記した。仕事が終わり、ベランダで夜風に当たりながら少し空を見上げる。ほっと息をついてほんのり甘い気配に抱かれたまま、春の大三角を探す。目の前にちょうどスピカ。その群星までは肉眼で見えない。

ところで死んだあとの人は、星に移り住むこともあると聞いた。どこかの国の、古い言い伝えに曰く。その土地では、死後の行き先となる星を選んで指差す風習があるらしい。

私が死んだら行く星は、……やはりオリオンときめておこうか?

野尻抱影『星は周る』

そのようなわけで、天文民俗学者の野尻抱影氏は今ごろオリオンで暮らしている。暑いのか寒いのかはわからない。そこから地球は見えるだろうか。

目をつむると、燦然と輝き出す頭上の星々。それは誰かの魂なのか。それとも、住処なのか。そのまま耳を澄ますと、行き交う死者のざわめき。星めぐりの規則正しい雑踏、惑星にも袖の触れ合い。いつか古代哲学史の授業で習った、天体の音楽かもしれない。

星は天高く冷たく、それでいて私のそばで輝く。遠近法ではとらえられない、奇妙な距離感のわけは、人の魂を感じさせる発光のせいかもしれない。260光年あるはずの星との隔たりは、ときに鼻先の渋谷の街よりも私の心に迫る。

あまり夢中になるとくしゃみをして魂が抜けるから、部屋に戻る。とにかく、長距離列車に乗って、遠くの団地に群生する灯りに人の気配を感じるように、半球の夜空を飾る星々にも、どこか懐かしい息遣いがある。毎夜、じっと向かい合っていたら、そのうちきっと光の言葉だって理解できるに違いない。辞書をつくればいい。子どもの頃、英語もそうやって覚えた。

けれどもここはいつたいどこの停車場だ

宮沢賢治『青森挽歌』

思いを巡らせていると、ふっと、宮沢賢治の声が横槍を入れる。人の生涯は列車旅のようだ。暗がりで線路を進む私たちは、どこから来て、どこへ行くのか。いや、そんなことよりも、どこからかやって来て、どこかへ行く私は、今ここで一体なにをしているのか(そして、何のために?)。『ノルウェイの森』のラストシーンのように、いつでも身ひとつであてどなく投げ出されている旅行者。そのことに、道すがらたまに気づく。

こんなきままなたましひと
たれがいつしよに行けようか

宮沢賢治『小岩井農場』

人間は孤独で、行き先もなにも知らない。けれども、星の言葉さえ理解できれば、私はもうひとりではない。宵闇に射す光はこちらに手を伸ばしてささやきかけ、私の魂はそれに応える。星の言葉は、まだ人の言葉ではない。英語も日本語も、すべての言語はそこから生まれた。文字や音声になる以前、初めの言葉は光だった。それを私の口で語りなおそうとすると、言葉は詩になる。

この街が街になるずっと前から、いつもどこかで誰かはこうして星と言葉を交わしていた。キケロの前にはプラトンが、その前にはサッフォーやホメロスが。星は大昔から、約束通り決まった位置に再び現れて、同じ明るさでささやいてくる。月下の世界には、その言葉の秘密を解き明かした人たちが大勢いる。その手法で星に語りかけることさえできるようになれば、もうなにもかもが移ろう時を私は恐れない。文学の歴史が、星の言葉をうつしとる。

「切符を拝見いたします。」三人の席の横に、赤い帽子をかぶったせいの高い車掌が、いつかまっすぐに立っていて云いました。鳥捕りは、だまってかくしから、小さな紙きれを出しました。車掌はちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなた方のは?)というように、指をうごかしながら、手をジョバンニたちの方へ出しました。

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

そこでジョバンニが差し出した、「いちめん黒い唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷した」紙切れ。それは、言葉の秘密を刻んだ言葉だ。つまりは、詩だ。それさえあれば、宇宙のどこへだって行ける。ポケットの中を探って、知らぬ間に持ち合わせていた解読不能の言語は、私たちみんなの忘れてしまった母国語で書かれた文字なのかもしれない。それを読み上げることができたとき、私も、あなたも、星も、花も、みな奇妙な発声で意思を疎通する。

夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう

穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』

そんな夢が、夢ではなくなるときがたまに訪れる。

切符というものには、出発駅と到着駅が印字される。詩で書かれた切符を見てみると、そのふたつは、実は同じ地名だということがわかる。私たちの故郷、そしていずれたどり着く天上の重なり合い。かつてあった景色と、まだ見ぬ風景が、ひとつの名前として私の手のうちに握られる。星に返事をしようと目を閉じるとき、その確かな感触がよみがえる。

古い記憶の言葉は、未来の共通語であり、私たちはいつの間にかその話し方を知っている。今夜の星の瞬きも、そうやって語りかけてくるのが聞こえるから。

((ヘツケル博士!
わたくしがそのありがたい証明の
任にあたつてもよろしうございます))

宮沢賢治『青森挽歌』

【詩】

Ticket To Ride

You've got a ticket to ride, baby
I know coz I felt it
when I stuck my hand in
the back pocket of your jeans.
Send me a postcard when you get there.
   Promise?

切符

切符があるね
知ってるよ
ジーンズの後ろポッケに さっき
手をつっこんだとき 触れたから。
着いたら葉書をよこしてね。
  約束だよ?

詩:高田怜央
写真:岩崎広大

高田 怜央(Leo Elizabeth Takada)
翻訳者·詩人。1991年横浜生まれ、英国スコットランド育ち。上智大学文学部哲学科卒。主な翻訳に、ヴィム·ヴェンダース監督「Perfect Days(原題)」(脚本・字幕)など。英日詩に『ユー・メイド・ミー・ア・ポエット、ガール』(海の襟袖)、「FUTURE AGENDA [未来の議題]」他二篇(『ユリイカ 』2023年3月号、青土社)など。2023年8月、第一詩集『SAPERE ROMANTIKA』(paper company)刊行予定。
Twitter: @_elizabeth_remi
Web: https://leoelizabethtakada.tumblr.com


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