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【全文公開#04】建築に惹かれる歯科医院「山本歯科医院」


山本歯科医院
■創業:明治30(1897)年
■竣工:昭和2(1927)年
■設計者:不詳
■外壁素材:モルタル、タイル
■構造:木造2階建て


仕事も暮らしも長く、丁寧に

 コバルトブルーの絨毯、乳白ガラスのライト、アンティークの調度品が丁寧に飾られたキャビネット。病院の「待合室」に少なからず抱く緊張や不安を、すっかり忘れてしまうほど、山本歯科医院の待合室は惚れぼれするような空間だった。

「このキャビネットは実際に診療器具などを入れて使っていたんです。あの黒電話もまだ現役ですよ」

 そう言って院長の山田茂子さんが黒電話を鳴らすと、ジリリリーン、ジリリリーンと懐かしい音が院内に響く。

 東京の神田多町、須田町界隈は歴史的建造物が数多く残る、東京都心では稀有な地域である。このあたりは第二次世界大戦で大きな被害を受けなかったため、関東大震災後の建築物が比較的多く残存している。また東京都がそれらの建物を「都選定歴史的建造物」として、積極的に保存活動を進めているのだ。山本歯科医院もその一つで、「登録有形文化財」「千代田区まちづくり重要物件」に指定されている。

 山本歯科医院は初代の茂三郎から家族3代、120年にわたりこの地で診療を続けてきた。創業は明治30年。当初、茂三郎が現住所からほど近くの場所に医院を構えていたが、火事で焼けてしまい、昭和2年に現在の靖国裏通りに再建。当時医院は洋風で近代的な様式が主流だったため、この造りもその流れではないかと山田さんは言う。

「茂三郎さんがカリスマだったから。いろいろうるさかったんじゃない? お金持ちだったようだからお金もかけてね」

初代・茂三郎氏が写る家族写真。登録有形文化財登録の際、資料をまとめた冊子をつくった

 昭和13年に旧国民健康保健法の施行により現在の国民健康保健制度の基礎が生まれたが、当時は加入も任意で国民の3分の1が無保険だった。患者が人力車で来ていた、という山田さんの話からも、患者も病院も裕福な環境であったことがうかがえる。

 茂三郎さんはここを建てて数年後に亡くなってしまい、山田さんの父親はまだ学校を出たばかりで勉強する暇もなく、すぐにあと継ぎに。そして親の仕事を近くで見てきた山田さんも、昭和58年に父親と並んで診療を始めた。当時女性は結婚したら仕事を辞めるのが当たり前だったが、「一生続けられる仕事がしたかったから」歯科医師を目指したと言う。

2 階の天窓。奥行きが長く光が入りにくい長屋にはよく用いられた。待合室の入口を自然光がほのかに照らす

 山田さんが父親といっしょに診療を始めて少しした頃、ビルを改築する話があがった。建設会社に勤務していた患者の一人が図面も引いてくれたが、「それが、まぁつまんなかった」と、山田さん。土地が狭いから、ワンフロアずつしか部屋が取れない設計だったらしい。

 そのとき、建築士で都市建築の研究者でもある三舩康道氏から登録有形文化財の提案を受けたのだ。

患者用と自分たち家族が使う階段を分けていたため、階段が向かい合って二つある

「実際、どこか住みにくいとか壊れてるとか、ビルにしなければいけないほど困ってもいなかったわけ」

 当時、客は高い場所に通すという考え方から2階に診療所をおくのが一般的なつくりだった。しかし年配の客も多いため、ビル改築のための資金を使って、もともと住居スペースだった1階を診療室に改装。外壁の傷みを改装する際は、三舩氏の紹介によって、当時の雰囲気を出せる昔の大工やペンキ職人さんを連れてきて「古いよさを再現するために新しくした」のだという。

「大きな窓から光が入るこの部屋が好き」だと話す山田さん。普段の治療は主に1 階の治療室で行う

 現在は山田さんと、次男で副院長の茂樹さん、長男の淳さんと親子で診療を行っている。茂樹さんもまた祖父、両親が診療している姿を近くで見て育ち、自然と歯科医師を目指すようになったのだという。長くこの仕事に携わるなかで変わらないものがあるか、山田さんに尋ねると「治療方針」だと即答した。

「いろんな患者さんがいるけど、椅子の上ではみんな平等。その人の10年後、20年後の先を考えて治療しますよ。患者さんのなかには50年近いお付き合いの方もいらっしゃるし」

 その誠実さは建物外観からの印象ももちろんだが、古いものが自然なかたちで生きている院内の空間そのものににじみでていると感じた。

 キャビネットに飾られたの調度品について触れると「これは父の使ってたメガネ、懐中時計も昔の人はみんな持ってたしね」
いいものを長く使うほうがすてきじゃない、そう言って山田さんは微笑んだ。

 山田さんの話を伺っていると、古いものに美しさを見出せる審美眼は、丁寧な暮らしのなかで生まれ、育ち、受け継がれてゆくものなのだと感じた。この建物は偶然いろんなタイミングが重なってビルにならなかった、のかもしれないが、その代々受け継がれてきたセンスが今もこの姿のまま残る一つの理由であると思った。

「初診の男性が問診にある来院動機で、この建物に惹かれてって理由の人がいたのよ。思わず笑っちゃった。うれしいですけどね」
そう言ってくすくすと笑う山田さんにこの建物の好きなところを尋ねると「窓、すてきよね。外から見るより、中から見るほうがいい」とのこと。

 その帰り道、ふとある詩の一節を思い出した。
『そこに置かれているだけで1日を美しくするものがある』

 高いビルに挟まれ、でも静かにたしかな存在感を持つその建物に、そんな詩を思った。

写真:金子怜史
文:編集部

*全文公開の記事は『看板建築 昭和の商店と暮らし』より2019年5月刊行当時のものです。





は、歯が痛い。
人生で数える程しか歯医者に行ったことがない筆者にとっては、とても珍しい事態だ。つまり緊急事態だ。

前々から山本歯科医院さんはお元気にされているだろうかと思い出してはいたが、フラフラと会いに行くのもご迷惑だし……と、本の発売以来、ご挨拶できずじまいでいた。

だから、これはチャンスだ。
私は!山本歯科医院の!患者になるのだ!(イテテテ)
そうして次の日には、山本歯科医院に予約の電話を入れた。

壁に埋め込まれたポストもいいのです


担当は茂子先生のご子息の山本茂樹先生だった。

「今日はどうされました?」

ー2、3日前から歯が痛むんです。多分左の奥歯です。親知らずが残ってるからそのせいかもしれません。

「うんうん、ちょっと見てみますね」
「うーん。どこだろうなぁ。軽く叩いてみるので痛かったら仰ってください」

コンコン、コンコンといろんな歯を叩かれるもよくわから…アァァアアア痛あああああい!

ーそほ、いらいれす。

「あ、すみません。ここかぁ。うーん」

ー “やっぱ親知らずがあるから虫歯になってんねや…….”

「あのですね、一応虫歯はどこもないんですよ。多分ね、噛みすぎだと思います」

ーか、噛みすぎ……?

「奥歯がすごく発達してらっしゃる。いつも力強く噛みすぎてて、歯に痛みが出てるかもしれません」

心の底から理解できる。集中すると歯をくいしばる癖があるし、なにより成長するにつれ下顎の骨がでかくなってる気がしていた。

「次は歯ブラシのやり方、ちょっと見ましょうか」

そうして虫歯も歯周病もない健康歯の私は、無事山本歯科医院さんの患者さんになった。
茂樹先生が話を全部「うん、うん」と優しく聞いてくださるので、歯の痛み以外の悩みまで話してしまいそうだ。

待合室。誰かの家の居間みたいでなんだか落ち着く

帰り際に、実は『看板建築』という本の取材でお世話になったことを打ち明けると先生は「あぁ!あの時の」と驚いて、奥から茂子先生を呼んできてくれた。


ーご無沙汰しています。またご挨拶に来たいと思っていたのですが、この度晴れて歯が痛くなったので来ました。お元気でしたか。

「元気にしてましたよ。あれから何度か取材依頼があったりもして。前にニュース番組の撮影もしたけど、コロナのニュースが多くなって放送が流れちゃった」

ーそれは残念……。やっぱりコロナの影響はありますか?

「まぁ、この辺は人通りが随分減りましたよね。患者さんも予約を延期されたりね」

ーこれからお世話になります。よろしくお願いいたします。

「はい、ではまたお大事に」

写真・文:編集部

山本歯科医院
〒101-0041 東京都千代田区神田須田町1 - 3 - 3
☎03-3251-2019
診療時間 月曜日~金曜日 
9 :00~13:00/14:00~19:00
休診日 土曜日・日曜日・祝日

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