【連載】ノスタルジア大図鑑#12|失われつつある食を求めて:出前品運搬機
時代の変遷とともに変わりゆく「食」。
生活にもっとも密接な文化だからこそ、歴史や環境、地域性や風土、社会情勢に影響されやすいもの。
そんな時代の断片をあらわす食の風景を、独自の視点で綴る今回のnoteは……
「ノスタルジア大図鑑」初のご登場、花井 直治郎(はない・なおじろう)さんがお届けする〈失われつつある食を求めて〉。
第1回のテーマは、今では絶滅危惧種!?な「出前品運搬機」です。
【ノスタルジア大図鑑とは】
昭和やそれ以前、物心ついた頃からあたりまえにあったもの。
めまぐるしく移り変わる時代の中で、気づいた時には無くなっていることも。さまざまな理由で「このまま放っておいたらいつか無くなってしまうかもしれないもの」、後世までずっと残して受け継いでいきたいと思う「日本の文化・日々の暮らしの中の物事」を取り上げ、個性豊かな執筆陣による合同連載<ノスタルジア大図鑑>としてお届けしていきます。
第1回:出前品運搬機
我が家では「Uber Eats」は禁忌とされています。
正確に言うと、我が家ではなく、我ですね。そう、私。
「ウーバーで何か頼もうか」なんて台詞を10代の息子が生意気に口にしようものなら、むむむむと、必死のパッチで止めに入ります。
我が仕事場でも「Uber Eats」はタブー。
仕事場全体で禁止を謳っているわけではないんです。要は、我あるところにウーバーなし、ということですね。
「やってるお店も少ないし、雨だし、ウーバーで」
仕事場で不埒な台詞を口走る20代女子がいたとします。
「ウーバーはないな」
即座にノー。
「えっ、なんで?」
たいがい、そんな反応が返ってきます。
「ウーバーじゃなくて、出前にしようか」
そもそも、食事を届けてもらうこと自体に異を唱えているわけではないんです。出前であればオッケー。出前、であればね。
「あぁ、出前館派でしたか。出前館でもいいですよ。じゃあ、出前館にしましょう」
もうね、日本語が通じてないことを痛感する瞬間です。館はいらんのですよ、館は。
とは言え、Uber Eatsをウーバーと略すのと、出前館を出前と称するのは同じ原理なのかと思ったりして、相手の言っていることが真っ当な気もするもんだから、紛らわしいですな。
さて、なぜUber Eatsを良しとしないのか、といったQに対して、明確なAがあるわけではないんです。僕が僕であるために負けるわけにはいかない、と言うと大袈裟に聞こえちゃうかもしれないですが、実はそんな感じ。ウーバーに恨みがあるわけでもなし。便利だろうなとは思いますよ。でもね、ドン・キホーテには行かない。缶チューハイは飲まない。映画は映画館以外で観ない。などなど、安心で安全を声高に謳う現代社会に流されないためにも、自分に課しているいくつかの他愛もない(傍から見れば面倒な)決め事。その一つが、Uber Eatsで頼まない、なんですね。まぁ、出前館もですけど。
コロナ渦の日常にすっかり馴染んでしまった、この風景。誰とも話すことなく、ネットでちゃちゃっと注文できるってのは、便利で手軽なんですな
©金子山
前口上が長くなりました。そう、今日は出前のお話です。館は付きません。
子供の頃、出前は楽しみの一つでした。ここで言う子供の頃ってのは、昭和50年代のこと。半どん授業(もしかしてこれもノスタルジアかな)で母親が昼食をつくり損ねたとき、お客さんが長っ尻でなかなか帰らないとき、親戚がちょっとばかし集まったとき、じいちゃんが競馬でちょびっと儲けたとき……我が実家では「いざ、出前」となることが多々ありました。
まず、どこから出前を取るかを検討します(蕎麦、中華、鮨、食堂といったところかな)
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みんなから注文を聞きます(スマホもネットもない時代です。メニューを見て決めるなんてことは稀でしたよね。食べたいもの適当に思い浮かべて注文することが多かったな)
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お店に電話をします。
「出前、お願いします」「はい、注文をどうぞ。ざる蕎麦2枚とカレーうどんと。ごめんさいね、うち、カレーうどんやってないんですよ」「お父さん、カレーうどん、ないって」「あっ、カレーライスならありますよ」「お父さん、カレーライスはあるって」――電話口では毎度のんきなやり取りが繰り広げられたものです。
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しばらくすると、例えばいつも厨房で忙しなく鍋を振っているおっちゃんがオートバイに乗って颯爽とやって来ます。これが基本的な出前の流れ。
いいねぇ、今日は何の集まり? 軽口を叩きながら、おっちゃんは次々と料理を玄関に並べていきます。ザーサイはおまけね、とか粋な計らいがあったりしてね。サービスという言葉とはちょっと違う、心遣いというのかな、あの頃の出前にはどことなく人の感情が宿っていたなぁというのが、いまならわかります。皿はあとで取りに来ますねーとかなんとか言いながら、ブルルルとオートバイで去っていく。これは基本的な出前の風景。
そのときですよ、オートバイの荷台に鎮座する緑色の物体があるはずです。昨今、見慣れちゃった黒い箱ではなくて、マシーンと呼びたくなる佇まいのアレですよ。アレこそが、今日のお話のクライマックス。
その名も「出前品運搬機」。通称、出前機。
世に出たのは、昭和30年代前半のこと。当時の記録が残ってないので詳しいことは誰にわからないんですけどね、元祖はエビス麺機製作所で、発案者は東京のとある蕎麦屋の店主だと業界では言われています。
出前機は登場と同時に一気に日本全国に普及したのかと思いきや、どうやらそうでもないみたい。昭和30年代、出前といえば蕎麦屋。蕎麦屋の出前といえば、ざる蕎麦を何枚も重ねて自転車でひょいひょいってやつ。思い返せば子供の頃、蕎麦屋の出前のコントってよくありましたよね。最近は見ませんね(これもノスタルジア?)。
閑話休題。あの頃の蕎麦屋には「外番」と呼ばれる出前専門の職人がいたんですね。蕎麦を重ねて運ぶのは職人技だったわけです。その昔、40枚の蕎麦を運ぶ名人の話を銀座の蕎麦屋で聞いたことがあるもんなぁ。でね、彼らの仕事を奪っちゃいけないっていうので、出前機はなかなか浸透したなかった。
出前機が市民権を得たきっかけには諸説あり。東京オリンピックが関係しているとかしてないとか。でも、東京オリンピックの話はやめときましょう。気分がもやもやするもんね。真説は外国人観光客からの警察への訴え。蕎麦を片手に自転車で町中を練って走る姿を見て、デンジャラスと叫んだとか叫ばなかったとか。関係筋からの話なので、信憑性は高いですよ(関係筋って言っている時点で、怪しいんですけどね)。何はともあれ、昭和30年代の終わりから、出前機がニッポンの出前風景を一変させます。
それから50年とちょっと。現在、出前機を手がけるのは東京は府中にある「マルシン」一社のみ。もともとマルシンは、出前機の製造と販売のために昭和40年に設立された会社。出前機と共に半世紀以上というわけ。
出前機の何が凄いのかって、デザインも仕様も性能も機能もほとんど変わっていないということ。進化すらしない。日本の食シーンを一変させたマシーンは、誕生した瞬間に完成された一品であったということに驚きます。
ざるに盛られた蕎麦も、てんこ盛りの丼物も、そして汁物も、こぼすことなく運び切る究極の安定感。それが昭和30年代から変わらないというんだから、ノーベル賞をあげても良かったんじゃないですかね。
写真は蕎麦屋の出前機。これは1型という。ほかにも寿司屋などの桶を運ぶ2型で、ほかにも3型、5型と全部で4種類の出前機がある
©金子山
出前機はシンプル&タフ。壊れにくいことに加えて、修理も請け負っていることから、ずっと使っている店が多いという
©金子山
なぜ、出前機で運ぶとこぼれないの? 子供時代も大人になってからも、不思議でした。オートバイの荷台に料理を乗っけて公道をひた走るわけですよ。右へ左へハンドを切っても、信号でストップ&ゴーを繰り返しても、時には路面の凹みにタイヤを取られても、おっちゃんの粗い運転にも、出前機はゆらゆらと涼しい顔。どうして?
10年ほど前、マルシンでその謎を聞いたことがあるんです。理屈は「コンビでおでんを買ったときと同じ」ということでしたね。コンビニでおでんを買ったとします。容器を両手で大事に抱えて持ち帰ると、歩くたびに汁はたぷたぷ揺れる。けれども、ビニール袋に入れて、袋の取っ手を三角形の頂点にして持ち運べば、安定感が増すというわけ。
出前機は自転車の荷台にしっかり取り付けてあるけれど、しかと見れば三角の形がふわっと浮かんできます。料理を載せる部分は三角形の底辺になっていて、振り子のように揺れる。結果、運ばれている料理は水平に保たれる。流れには逆らわず、風の吹くまま、ハンドルの動きのまま。三角形の頂点の部分には揺れすぎを防ぐために空気バネを装着。これがまたスグレモノだと聞きました。衝撃を感じると伸びたり縮んだりして、動じないというんだから、パーフェクト。
ちなみに、マルシンの出前機は札幌オリンピックの聖火を運んでいます。火が消えたときにすぐさま灯せるようにと、ランナーの後ろには分火した火を積んだ出前機があったと聞きました。オリンピックはオリンピックでも、東京じゃないからこの話は良しとしましょう。出前機が誇る抜群の安定感を知らしめる、素敵なエピソードですからね。
出前機の製造は群馬で行ない、東京は府中にあるマルシンが日本全国へと出荷している
©金子山
でもね、最近、出前機の勇姿を目にしないと思いません?
かつてマルシンで話を聞いたときも、コンビニやファストフードの台頭、人件費の高騰などもあって、出前そのものが減っていると言っていたもんなぁ。
とはいえ、世の流れはデリバリーですからね。出前機も息を吹き返しているに違いありません。その姿を見てないというよりは、オートバイと一体化していて、あまりにも自然だから気がついてないだけかも、なんて思いながら家の近所の交差点に立って、出前機を探します。その前を黒い箱を背負ったニイちゃんたちがひっきりなしに行ったり来たり。みんな本当によく頼むよね、ウーバー。
結局、30分ほどの立ちんぼで、目にした出前機の数はゼロ。ふと思いましたね。もしかしたら、出前機を見たことがない10代っているかもなぁ、って。続けて、ふと思ったんです。近くに古い蕎麦屋があって、確か出前機があったよなって。一目散に蕎麦屋に向かって、到着して、あぁ、なんと。閉店してました。コロナに耐えきれず閉店します、と貼り紙あり。その前を相も変わらず、黒い箱を掲げた自転車が通り過ぎていくではないですか。こりゃまいったね。
とぼとぼと家路に着いたそのときですよ、白衣を纏ったおっちゃんが運転する自転車がゆっくりとこっちに迫ってきます。片手には岡持ち。銀色のアレですね。そういえば、岡持ちも久しぶりだなぁ。
デリバリーなんて言葉が跋扈する、ほんのちょっと前まで、出前の時代が確かにありました。お店の人が家まで料理を運んでくるなんて、よく考えたら贅沢な話。出前は日本の食文化といっていい。けど、気がつけば、失われつつある。
出前が減れば、出前を支えてきた出前機の出番も少なくなるのは必然。もし町で出前機を見かけたら、心して目に焼き付けておかないといけないと強く思います。だって、次はいつ遭遇できるかわからない。もしかしたら、見納めになるかもしれないもんね。
機能美という言葉を使ってしまいたくなる佇まい。オートバイとの一体感がまたたまりません
©金子山
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イラスト©mappy
【著者プロフィール】
花井 直治郎(はない なおじろう)
1969年、新潟県三条市生まれ。不惑を過ぎてから食のメディアに関わるようになって、いまでは仕事のフィールドが食ばかり。気がつけば体重が20kgほど増えていて、現在も高値安定。好きな言葉は「ベースボール&カレー&ロックンロール」。
「日本全国キーホルダーぶらり旅」を含む、個性豊かな執筆陣による合同連載「ノスタルジア大図鑑」はこちらから↓
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