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第6回 愛しているんだ動物を

[編集部からの連載ご案内]
『うろん紀行』でも知られるわかしょ文庫さんによる、不気味さや歪みや奇妙なものの先に見える「美しきもの」へと迫る随筆。今回は、わかしょ文庫さん、動物園に行かれたようです。(月1回更新予定)


動物園だーい好き。行くと楽しすぎて頭がどうにかなってしまう。全動物をコンプリートしないと気がすまないから、足の裏が痛くなるまで駆け回って、目も耳も鼻も感度を最高にして対峙した動物の全てを味わい尽くす。脳みそをフル回転させ、へとへとになりながら閉園時間を迎えて、名残惜しく退散する。

上野動物園でミナミコアリクイの赤ちゃんが生まれたらしい。おめでとうございます。見たくてたまらなかったが赤ちゃん公開のアナウンスはなく、じれったい思いをしていた。どうやらひっそりと展示が始まっていることをSNSで察知し、混雑を避けるために平日に休暇をとって見に行った。動物の赤ちゃんの旬は短い。

シルバーバックと呼ばれる、背中から腰にかけて白く輝く立派な毛並みを持つ雄のゴリラが、限られたスペースにおさまって物憂げな表情を浮かべながら口元をもごもごさせていた。自然と高村光太郎による動物園の詩、「ぼろぼろな駝鳥」の

 人間よ、
 もう止せ、こんな事は。

という一節が浮かんでくる。というよりは、全檻の前に立つときこの詩のことを思う。ちゃちなわたくしめの楽しみのために、動物たちの生命活動を限定させてしまって心から申し訳ない。一族郎党終身刑と変わらない、と後ろめたさを覚えながらも、目の前の動物たちの一挙手一投足の全てが胸をうち歓喜の思いが溢れる。偽善者の苦悩が中和されてなあなあになる。

一日中楽しめてしまう上野動物園の入園料は、「大人(一般)」でたったの600円。安すぎる。百倍しても行く。上野動物園の本名は「東京都恩賜上野動物園」だ。元は宮内省の管轄だったのが、1924年の皇太子(後の昭和天皇)ご成婚を記念して東京市に下賜された。珍獣のコビトカバも2023年7月に死んだオカピも、元をたどれば下賜されていることになるのだろうか?もしや動物たちは非常時には招集されて戦地に駆り出され、映画『RRR』みたいに闘うのだろうか?天皇がハンニバルよろしくゾウに乗り、日本アルプスを越えるのだろうか?

冗談はさておき、動物園はそもそも国家権力と相性がいい。メソポタミアの時代から動物園は、権力者には自然をコントロールできる力があるのだとアピールするために使われてきた。欧米列強を真似て設立された上野動物園もまた、国家や戦争と不可分な歴史を持っている。たとえば、1906年にはドイツの動物商カール・ハーゲンベッグ(檻を用いない展示の祖でありながら、人間をも展示するなど賛否両論ある人物)に、

「日露戦争に勝った大国の動物園にはキリンがいなくてはなりません。実は他国からも問い合わせが来ているのですが……」

といった内容の営業をかけられ、予算の八倍もするキリンを購入している。そのキリンは十分な設備もなく一年程度で死んでいるのだが。また、日清戦争を機に戦利品のように連れ帰ったフタコブラクダや、東南アジアやパブアニューギニアに進出した邦人が寄贈した動物が収容されることもあった。盧溝橋事件で弾丸運びに活躍したロバの一文字号と盧溝橋号は園内の子ども動物園で余生を過ごし、積み重なった戦場のストレスのためか全ての歯を失ってしまった一文字号には、金の入れ歯が贈られている。

戦争と上野動物園といえば、最も有名なのは「かわいそうなぞう」だろう。戦争の混乱に乗じて市民を襲わないよう、猛獣処分が行われた。もちろん動物たちが戦争の犠牲になるのは上野動物園や日本だけの話ではない。今もなお、紛争地域の動物園は劣悪な環境になりがちだ。動物を飼育するというのは一種の贅沢で、動物たちは人間たちになにかあれば死ぬ他ない弱い立場に不本意に置かれている。

目的のために動物の命を利用して都合が悪くなったら殺すのは、罪深く身勝手だと言うほかない。だが、戦争と動物園にまつわるエピソードを追ううちに感じたのは、目的を超えた根源的な欲求だ。かつての権力の誇示やプロパガンダ、そして現在の種の保護もそれぞれ目的には違いないが、結局のところやはり動物そのものが魅力的で、近くで見て愛したいのだ。「かわいそうなぞう」当時の飼育員は、痩せ衰えながらも芸を披露し餌をねだるゾウがあまりにも哀れで、隠れて餌をあげ続けたという。そこには国家や戦争という建前を超えさせる動物の魅力と、動物を愛さざるを得ない人間の姿がある。動物を見たい、愛したいという根源的な欲求が途絶えないから、目的が移り変わりながらも動物園は残り続ける。


屋外の檻にも小獣館にもミナミコアリクイはいなかった。小獣館ではハダカデバネズミが展示されていた。入り組んだ巣の狭い寝室には、ピンク色の肉塊たちがみっちりと詰まって寝ていた。あらかじめ叔母に、ミナミコアリクイの赤ちゃんのために動物園に行くことを伝えており、それからハダカデバネズミの持つ真社会性の話で盛り上がっていたので、撮影した画像を送信した。

ミナミコアリクイは、なんとバードハウスにいた。生類憐みの令をかいくぐって非常時に食べるために鳥だということにしているのか? 現に生息地では特段珍しい動物でもなく、人間に食べられることもあるらしい。ミナミコアリクイの飼育スペースはガラスを覆うように地面から50センチほどの高さまで紙が貼られ、目隠しされていた。説明書きによると母子の展示は始まって間もないらしい。

「え、どこ? ミナミコアリクイの赤ちゃんは? 見えない!……ッテ、イタ-!! カワイイネー!!!」

ミナミコアリクイの赤ちゃんは、母親の背中に乗ってひょっこりと現れた。縄張り意識の強い動物らしく、母親は力強い足取りで歩き回っている。赤ちゃんは頭をはずませてバランスを取りながら、器用に母親の上に立っている。あまりの愛くるしさに思わず裏声で叫んでしまったが、そばにいたバズーカのようなカメラを構えた男性と女性が、それぞれ(うんうん)と微笑みながらうなずいていた。バードハウスは人気のある建物とは言い難く、その時間の客はわたしと同行者の他にはバズーカ二名しかおらず、こまめにシャッターを切る音があたりに響いていた。

ミナミコアリクイの赤ちゃんは、尾を除いて体長およそ40センチ。毛も生えそろって吊ズボンみたいな柄もそのまま、母親のミニチュアのようである。親子は立派な鉤爪を駆使して木に登ったり、下りたり、また歩き回ったりと、旺盛に活動していた。わたしはゆうに30分はその場にいた。また来るね、と心のなかで呟いて後ろ髪をひかれる思いで、やっとのことでその場を立ち去った。

この日わたしは、現在の園の看板動物である「双子のこどもパンダ」という、概念としてこれ以上の「かわいい」があり得るのか?という存在を目の当たりにした直後、「やっぱりシャンシャンが一番かわいいのよね」と上品に話すご婦人の声を耳にした。わたしはパンダの世界にすら忍び寄るルッキズムに恐怖を覚えた。

だがしかし、シャンシャン(2023年2月に惜しまれながらも中国へ返還)が美パンダだというのもなんとなくわかってしまう。シャンシャンは鼻が適度に短く、幼く見えて愛らしいのだ。口角もあがっており、活発で愛嬌もある。双子パンダもかわいいには違いないが、わたし、そしておそらくご婦人も、寝ている姿しか見られなかった。兄妹の見分けがつくように兄の背中には緑の塗料が塗られ、メロン味のかき氷にされたみたいでキュートではあったが、二頭で丸まって寝ていたので顔が見えなかった。「前に見たシャンシャンみたいに、笹のひとつも食べてくれりゃあよぉ」と内心ではぼやいた。

けれどもさすがに、パンダの顔の美醜を品評するような真似はしたくない。動物園では等しく自由を奪われているのだから、美醜や珍しさで愛の分配量を変えたくない。童謡とは裏腹に悪魔のような外見をしたアイアイも、アイアイと同じ建物にいるマダガスカルオオゴキブリも、パンダと同じくらい愛したい。マダガスカルオオゴキブリの入れられたケースは、早足で通り過ぎてしまったが……。

それにつけてもミナミコアリクイの赤ちゃんのかわいらしさよ。他のあらゆる動物の魅力がかすみ、博愛の気持ちは吹き飛んでしまった。両腕をクロスさせて飛び込み、力ずくでガラスを割って、抱えて連れて帰りたい。まるでハートにミナミコアリクイ型の焼きごてをあてられたようだった。あれから毎晩、ミナミコアリクイの赤ちゃんはどんな姿勢や表情で眠りにつくのか、考えながら寝ている。


ハダカデバネズミの画像を送った叔母から、しばらくして返信が来ていた。

「ミナミコアリクイの赤ちゃん、想像と違う……」

わたしは慌てて誤解を正し、適切な画像を送信した。

参考文献
小宮輝之『物語 上野動物園の歴史』中公新書、2010年
溝井裕一『動物園・その歴史と冒険』中公新書ラクレ、2021年
溝井裕一『動物園の文化史――ひとと動物の5000年』勉誠出版、2014年

わかしょ文庫
作家。1991年北海道生まれ。著書に『うろん紀行』(代わりに読む人)がある。『代わりに読む人1 創刊号』(代わりに読む人)に「よみがえらせる和歌の響き 実朝試論」、『文學界 2023年9月号』(文藝春秋)に「二つのあとがき」をそれぞれ寄稿。Twitter: @wakasho_bunko

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