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第3回 ダイヤモンド富士

[編集部からの連載ご案内]
『うろん紀行』でも知られるわかしょ文庫さんが、不気味さや歪みや奇妙なものの先に見える「美しきもの」へと迫る随筆です。(月1回更新予定)


千代の富士はいまダイヤモンドになっている。もちろんあの、ウルフの呼び名で愛された昭和最後の大横綱のことだ。通算31回もの優勝を収め、「お相撲さん」らしくない筋肉質な身体と精悍な顔つきで人気を博した。2016年に千代の富士は亡くなり、家族は彼の遺骨をダイヤモンドに加工した。金剛力士像のようだった千代の富士は、いまや四粒のダイヤモンドになり、永遠の輝きをたたえていつまでも家族のそばにいる。

車で行きたい場所がある。ペーパードライバー講習を終えてもなお、いまだ行けずにいる。その場所は静岡にあるので高速道路を使う必要がある。知人が昨年からそこにいて、移動することはおそらくもうない。

知人がすでにこの世を去っていることが告げられたのは春だった。知人と面識のない人物が画面越しに黙祷するよう促したあと、「○○さんのぶんもがんばっていきましょう」と言った。

黙祷はできなかった。真っ黒の画面を見つめながらミュートにしたまましばらく呆然として、それからふつふつと腹が立った。いま思い返してもあの言い方は信じられない。死はすぐなにかに昇華すべきものでは絶対にない。もしも対面で言われていたらつかみかかっていただろうし、たとえオンラインでもわたしはつかみかかるべきだった。

実感はわかず身体はまるで自分の意志を離れてさまようようで、そのこと自体には苦しさも楽しさもなかった。知人がもうこの世にいないことは理解できないままだったが、だんだんとすべての感情のベースに「悲しい」がある状態になり、なにをしていてもなにもしていないみたいになった。胸の中心に鉛筆が刺さったような六角形の穴が開いて、そこをびょうびょうと風が吹き抜けているとしか思えなかった。血も膿も組織液も、その穴から汚らしく垂れ、乾きこびりついているようだった。

知人はすでに荼毘にふされ、二度と顔を見ることはできないと聞いた。そのままゴールデンウィークに突入した。

鬼怒川温泉に出かけて、取り壊されることなくずらりと何棟も残っている上流側の廃墟を遠目に見た。個性のない単純泉の檜風呂に浸かって浴衣に着替え、養殖のサーモンの刺身を食べ、部屋に戻って飲酒しながら、ラミネート加工されたピンクコンパニオンのチラシを眺めた。芸者も呼べるようだった。芸者とピンクコンパニオンは同じ人がやっていて衣装と化粧くらいしか違わないのではないかという疑いを持った。

Nationalのトイレで用を足して電気を消し、新しくはないが清潔な布団にはさまって薄闇に吊るされている電灯を見ていると、川の流れる音がやけにはっきりと聞こえた。雨が降っていた。鬼怒川は想像していたよりも大きな川だった。数年前に氾濫したときのニュース映像が頭をよぎった。使われていない建物が一棟、崩れ飲み込まれ流されていった。いまにも濁流が向こうからやってくるような、不穏な想像をした。布団ごとわたしも流されて溺れる。そんなことが起こるはずはないが、起こらないとは言いきれない。それでもわたしは身動きひとつしなかった。

布団にへばりつきながらばかみたいに泣いた。昼間、神社の賽銭箱を前にわたしは立ち尽くしたのだった。自動的に頭に浮かんだ願いは、もう絶対に叶わない。二年ほど、寺、神社、小さな祠でもなんでも、近所でも観光地でもすこしでもご利益のありそうな場所を見つければ、駆け寄って小銭を落とし、お参りしていた。わたしは占いも信じないしおみくじもやらないが、お参りだけは必ずすることにしていた。しないで後悔するよりはしたほうが絶対にいいと考えていたからだ。わたしにできることはせいぜいそれくらいしかなかったし、とてもではないがなにもせずにはいられなかった。けれども全部、意味なかった。ばーか。どこの誰もなんにもしてくれなかった。

ここで知人の印象的な仕草、表情、言動などを、美しく整えられた言葉で描写して、読者をことさら感傷的な気持ちにさせたり、ため息をつかせたり、なにかいいものを読んだという満足感を抱かせようと仕向けることは、きっとたやすい。匂い、空気の湿り具合、どこからか聞こえてくる微かな機械音や、細かな塵が蛍光灯の光を反射しながら舞っていたことも、わたしは言葉にして書き表すことができる。でもわたしはそうしない。

同じコミュニティにいた人と会話して知人の名前が出ると、誰もが一瞬ひどく傷ついた顔になる。わたしも全く同じ、凍りついたような表情をしていることだろう。でもいなかったことには絶対にしたくないから、無理をしてでも知人の名前を口にする。そして各々が勝手に傷ついている。

そんなこともあったねと、些末な記憶がエピソードになっていく。知人がまるでいまも生きていていつでも会えて連絡をとれるみたいに話すこともあるけれど、それでもだんだんと知人が抽象的な存在になっていくのがわかる。知人がよく着ていた服の生地のことが頭をかすめても、それは映像というよりは言葉になっていく。言葉のほうが映像よりも情報を圧縮して記憶できるが、そのぶん解凍したものは粗くなる。時とともに知人にまつわる記憶から不純物が取り除かれ、言葉でできた美しい結晶のようなものに変わっていってしまう。

それでもわたしはまだ知人が揺らいでいたことを覚えている。こういうひとだった、こういう性格だった、そう断定するには似つかわしくない顔つき、声、身振りをしていた瞬間があったことを忘れずにいる。どれもが素晴らしい思い出だったとは言い難いし、忘れてしまったほうがいいようなものもある。それでもいまとなっては全てが懐かしく、自ら手放すことなど到底できそうにない。

だがしかし繰り返し思い出すうち、書かずともやがて全てが言葉に置き換わるだろう。ダイヤモンドのようなものになってしまうだろう。変化することのない永遠の輝き。もう避けられない。誰にも止められない。故人のイメージが無駄の削ぎ落とされた美しいものへ変わってしまうことを受け入れるのは、残酷なことだとわたしは思う。罪悪感もある。美しくなんかならないでほしい。それでもどうしようもないことなのだろう。なす術がないのだから。

すでに何人かでお墓参りに行ったというひとが、墓地の近くに「富士山ドラゴンタワー」という塔があって、富士山がきれいに見えました、と言った。なにがドラゴンだ。なにが日本一の霊峰だ、ばか。わたしは神も仏も信じないし、かといってお化け屋敷もホラー映画も怖いので無理だが、近いうちに富士山を見に行かないとならないし、お墓参りをしないといけない。そうして区切りをつけ、あきらめる必要がある。胸の内でひっそりと出来上がっていくダイヤモンドに、悲しみも怒りも抱かずにいられるように。でも一人で行くと気をつかわせてしまいそうだし、ドラマを気取っているみたいで気持ち悪いから、まるでなにかのついでに来ましたよという顔をして、ささっとすませるつもりでいる。


わかしょ文庫
作家。1991年北海道生まれ。著書に『うろん紀行』(代わりに読む人)がある。Twitter: @wakasho_bunko

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