認識とはなにか その9
記憶、思考、知識などの認識は、対象の場所の認識として機能する一方で、その認識自体が記憶の集合、思考の集合、知識の集合というように“集合”としての役割を果たしていることが想定される。
保存された情報は、ときに記憶として意味づけられる。
感覚においては、例えば聴覚の記憶や視覚の記憶というように、感覚の記憶として意味づけられる。感覚の記憶は感覚として、身体を把握するときの対象の場所の認識として機能すると考えられる。
思考においては、記憶の組み合わせの連続したものが思考となり、その思考もまた記憶となっていく。
保存された情報は記憶、感覚、思考というように様々に他の認識によって意味づけを受けており、保存された認識は新たな情報を意味づける認識として出現し、対象を把握する認識として機能することができる。
そもそも自分は、保存された認識が自分にとって何であるかわからずに困ることはない。思考や感覚は、自分にとっての思考、自分にとっての感覚である。保存された情報は、例えば思考や感覚というように認識によって意味づけを受けたときに、自分にとって何かが決定される。
保存された認識の集合は自分にとって対象としてすでに把握されており、自分との関係は決定されている。
新たに出現する情報が保存されたどの認識によってどのように意味づけられるかによって、新たに出現する情報と自分との関係が決定される。
対象が把握されるとき、対象の内容の認識と場所の認識が決定され、それと同時に対象と自分との関係や自分の内容と場所が決定されることになる。
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