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2011年6月11日「レクイエム鎮魂の儀」@南相馬

警戒区域制定以降、避難先だったいわき以外の地域にも頻繁にいくようになった。特に福島、郡山は毎週のように通っては無事を確認したり、情報交換したり、イベントにいったり。食事はほとんど移動中の車の中だった。しかし国道6号の20km圏の通行証を取るのがめんどくさくて、近いはずの南相馬へはなかなか足が向かなかった。
それが2011年6月11日、坂田明さんが「レクイエム鎮魂の儀」のために南相馬に演奏しに来るというので、これはいかねば!と意を決して出発。結局、通過交通申請せず、20km圏を避けて山道をまわるのもどこが通れるか定かでなかったので、高速で二本松まで行って、飯舘経由で南相馬まで行くと、6国なら2時間のところ、4時間以上かけてたどり着いた。当時はまだまだ津波の影響色濃く残る南相馬の現状を肌で感じ、ヨッシーランドに衝撃を受け、その催し会場につくと、時期的に重苦しい空気と、えも言えぬ緊張感につつまれていた。会場では宮司さんたちの儀式のあと、坂田さんのサックスが響き渡る。なんて悲しくて、優しくて、突き刺さる音色だろう。その天まで登る魂のサックスに完全にノックアウトされていたが、ここで5体満足、家族無事でいる自分なんかが泣いていいわけないと、込み上げるものを抑え込んだ。
この時の様子はYoutubeに上がっていて、坂田さんが「浜辺の歌」を演奏している5分過ぎに、なんと自分が映り込んでいる。https://youtu.be/wAaqrUzt9Lg

その後、会場を移して原町二中でもやるというので、時間は夕方だったか、薄暗くなった校庭には、鎮魂のキャンドルがならべられてた。そして体育館で再び坂田さんの演奏を聞く。今にして思えば、この時、自分の中で何かを整理したかったのかもしれない。そこで坂田さんは朗々と「ふるさと」を吹き上げた。するとこの三ヶ月、心の奥底に抑え込んできた何かが解き放たれ、完全に涙腺が崩壊していた。当時はまだ故郷に帰るとかいうのは現実的に考えられないどころか、もう帰れないのではないかという不安の中で聞いた「ふるさと」。体育館の床に何粒もの滴が垂れた。周りの人も皆泣いていた。
そして、被災した他の地域に対する勝手な連帯意識のようなものが自分の中に芽生えた貴重な1日となった。

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