見出し画像

ゆるだら駄文日記その1.5


ここからがはじまりといいますか。
本の目次でいう、はじめにってやつが終わったので、本文と参りましょうか。

では、今日は僕の死生観について。
「初手で激重やんけ。」と思ったそこのあなた。
「病んでね?こいつ。」と思ったそこのあなた。

おめでとうございます。正解です。

当の本人は、病んでる自覚とやらは更々ないのですが、友人知人にはよく言われてまして、それはそれはもうみんないい人で、心配なんてしてくれるのですが。
僕にとって生きる事の意味、存在価値、存在意義、というのは特にないのが、常なのです。

つまり、そう、無気力人間なのですね。
志高く、直向きに努力を惜しまず、毎日きちんとするという、人間力、生活力が僕には最初から備わっていないのです。

ただ、それは、現代社会を生きていく上でとても重要なステータスでありまして、社会人として持ってて当たり前の必須スキルなわけです。

では、それを持っていないとなると、生きる意味を探したとて、周りの人々には当たり前にできるそれが出来ないなんて、僕は欠陥品じゃないか、死んだ方がいいじゃないか、と悪い方へ思考が巡って、宇宙の彼方まで行き、遂には見つからないんです。

人は何れにしても死ぬし、明日事故で死ぬかもしれないし、と考えたとて、今の僕には、願ったり叶ったりという感情しか生まれて来ず、なんや僕という人間って虚しいなぁと思う訳です。ハイパーネガティブ人間な僕です。

そんな僕にも、大事な人はいて、手の中にあるその大切を、自分なりの大事に仕方で、愛でていかなければ立ち行かなくなってしまうとも想うのですから、人間とは実にめんどくさい。
死ぬ事を考えると、同時に生きる事も考えなければいけないので、僕にとってはちょうどいいマインドが、"常に死ぬ事を考えている"、という状態なのかもしれませんね。

まぁ前を向かずとも人は誰かに引っ張って貰っていると考えているので、僕と関わってくれた全人間に感謝の意を表しつつ、怠惰な人間としてこれからも、ゆるっとだらっと息をし続けていきましょ〜。

今日のゆるだら駄文日記はこれにて終わり〜
おやすみー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?