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自分の好奇心と知識のために

インプットとアウトプットの好循環を

書くことは自分のために。
果ては生活の糧に、誰かのためにつながれば良い。

すぐには変われないけど、何かを始めていつでもの準備はしておく。
話す、書く、描く、撮るなどのクリエティブな力は一朝一夕では身につかない。

思えば大学時代、新聞部に所属していたことで書くことへの執着が生まれた。
マスコミ志望だった。
野球が好きだったからスポーツジャーナリストを志していたんだっけ。

学生記者になって初めて書いた原稿は今でも鮮明に覚えている。
思いもよらず評判になり、周囲からの評価が自分ごととして捉えられなかった。
現実とのギャップを感じた。

取材と執筆、校正と評価。アウトプットへのフィードバック。
大手通信社に勤めていたIOBの手ほどきを受けられてのも幸運だった。
先輩後輩との磨きあい、泣き笑いの経験が「自分」を浮きぼらせた。

今でも交流のある仲間で各種メディアで貢献している人は多い。
そういう人の活動にも触発され、ときには今でも羨んだりもしている。

インプット→(言語化・理解)→アウトプット→インプット…

自分の言葉で落とし込む作業っておろそかにしがち

本やネットやラジオからせっかく有益な情報を得ていても、
それを披露する適切な場所がないと、すぐにまた記憶から消されてしまう。
自分の言葉に落とし込むまないと当然血肉にならずに排泄される。消化不良。

生きている限り、社会や人間関係から隔離されることはない。
自分で見て、聞いて、触れるものには限界もある。

反面、耳障りの良い言葉や情報が溢れかえって、
自分のベクトルが不明瞭になることが多く迷いやすい世の中でもある。

自分でつかんで、はなす

アウトプット、いわゆる書くことは生きることにもつながっている。

インターネットにより知性を得る者、怠惰になる者が二極化しているという。
検索で答えに簡単に辿たどり着くことが招いた万能感。
無知の知に気付きにくい。アルゴリズムで操作された情報からは好奇心も育ちづらい。

音声配信も同じ趣旨で継続している。

自分なりの言葉でしゃべってます。↑↑↑

さ、よりよりインプットと好奇心のために始めましょう。



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