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和歌

著者が枕草子と共に、清少納言ともトークもあるという内容。現代かなに訳された段もあったりと、だんだん本文に近づいている感じ。著者はかなり清少納言の意見に近いものを持っているとのことで、1000年前の人でもすごく話が合いそう、と書き進めています。

平安文学を読むと必ずでてくるのが、和歌。相手に気持ちを伝える時の手紙にも、漢詩か和歌、のように「光る君へ」でも描写されているけれど、今同じように文章で書いて渡すことってなかったのだろうか?そもそも紙自体がとても高価なものだったのでかなりの覚悟でここぞという時しか手紙を出さなかったのか?紙自体が高価というのは真白の、奥州紙なのであって、薄様などは安価で気軽だったのか、このあたりの感覚がわからない。

ミュージカルについてどなたかが「話の途中で突然歌が出てくるのがわからない」と言っていた。その意見にミュージカルの演者の方が「普段の生活でも感情のままに不意に歌いたくなること、踊り出したくなることってあるじゃないですか。」と話されているのを聞いて、ストーリーと歌・踊りの関係を分かってなかったのだと、ハッとしたことがある。確かに、気分が良かったり、作業がのっていたりすると、つい鼻歌を歌ったりということはある。その延長線上にあるとしたら、しっくりくる。

「光る君へ」でも漢詩と和歌の違いについて行成が意見をいうところがあったけれど、文字だけでは伝わらない気持ちを形式で伝えようとすることは、今の絵文字を混えるのと同じということかも。教養として、いろいろな和歌を引いて和歌を書くことは、数ある絵文字からピッタリなものを見つけ出すのと同じようにセンスが問われる。普段から目にして素養を蓄えておく必要があるが、古今和歌集や後撰集とかそれだけ読む時間ってあったのだろうか?

あれ?Remixからズレてきてしまった・・・

街歩きがさらに楽しくなるものがあるといいな