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短歌

サラダ記念日を読んで、認識を改めた。全然わかってなかった。内容以前に、短歌は基本 5・7・5・7・7で作るものだった。近代短歌だと多少の字足らず、字余りも許されているらしい。が、このほかのルールはほぼ無い。俳句のように季語は必須ではない。技法として7・7の方に自分の気持ちを乗せるといったものはあってもあくまで技術、自分の表現をしたいことをこの31文字に収めることが、ルールとのこと。
今まで、「読みにくい」と思っていたのは、区切りを正しくできていなかったから。漢字の読みを取り違えていて音がなんだか足りないとかが原因だった。

で、サラダ記念日。15章(?)に分かれ1ページに3つの歌が並んでいる。
日々、万智さんが暮らす中での一瞬を切り取ったように句がならんでいる。想像も入っているは、わからないけれど、特別な出来事についてではなく日記といっても良いくらい。それを31文字におさめるところが、歌を読むということなんだろうけど、そのシーンの説明と自分が感じたことをこの文字数の中に収めるために、言葉を削ぎ落としても分かるように、伝わるようにというところが短歌の醍醐味なのかというのが今の所の感想。
サッとよんで情景が浮かぶものもあれば、文字間に何があるかを考えないとピンとこないものもある。

楽しみ方に「共感と驚異」あったが、確かに共感できる句はピンとくるがそれだけだと後に残らない、驚異があってなるほどと思える、という説明はなるほどと思った。そう思うと、今の自分に合うものと合わないものがはっきりしているのかもしれない。これまでの生活から共感できるもの、今の気分から共感できるものなど、そのタイミングによって変わってくるだろうから、この人の歌が好き、というのは前者、ふと見たものが響いてくるのは後者になりそう。

31文字で作る、「歌」なんだな。

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