「外郎売」完全マスター
「外郎売」とは
享保3年(1718年)正月、江戸森田座の『若緑勢曾我』で二代目市川團十郎によって初演された歌舞伎十八番の一つである。
出典:Wikipedia
役者や声優などの養成所、アナウンサーの研修などで、発声練習や滑舌の練習に使われています。
■ 「外郎売」には、お芝居の基本が詰まっている!
多くの方が、早口言葉や滑舌の練習だけに使いがちなのですが、
実は、演技をする時に大切な要素が詰まっています。
早く噛まずに言うことだけではなく、
自分が外郎を売る役になり、内容を理解して表現し、演じましょう。
■ 「外郎売」は覚えよう!
全文(参照:Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E9%83%8E%E5%A3%B2
(古い作品なので、読み方や漢字がちがったり、諸説あります)
外郎売を覚えておくと、ウォーミングアップをしたいときに、何か台本や教材を取り出す必要もありません!
毎朝チェックすることにより、その日の発声や滑舌、心の開き具合など、自分のコンディションを確認することができます。
朝準備をしながら、通勤通学で歩きながら、家事をしながら、など何かをしながらでもよいので、日々の習慣にしましょう!
■ 「外郎売」を演じるポイント!
以下の、意味とポイントを意識して、練習してみてください。
▼ 冒頭「拙者親方と〜名乗っています」まで
拙者親方と申すは、
<意味>
私の親方と申しますのは、
言葉は、意味を間違えたり、意識せずに言うと間違って伝わります。
拙者親方 とは、
○ 拙者の親方「私 の 親方」
✖️ 拙者は親方「私 は 親方」:これでは、自分が親方だと名乗っています。
どちらの意味で言うかによって、「拙者」の音が変わります。
正しく言うためには、まず自分の恩師や先生をイメージしながら「私の先生は」と言ってみましょう。
それができたら、「私の先生は」を「拙者の親方は」に変えて言ってみます。
後は、そのままの感覚で、「拙者親方と申すは」を言うと、最初と音が違っているはずです。
お立会の内にご存知のお方もご座りましょうが、
<意味>
お集まりの中にご存知の方もいらっしゃると思いますが、
今自分の前に、どれくらいの人が集まっているのか、具体的にイメージします。最初は身振り手振りを大きくすると表現がしやすくなります。
また、「知っていたらごめんなさい」という気持ちをしっかり表現しましょう。相手はお客様です。間違っても相手より上にならないように!
お江戸を発って二十里上方、
<意味>
江戸を出発して二十里ほど西に行き、
・自分の場所から、江戸や小田原はどこにあるのか
・二十里はどれぐらいの距離があるのか
この2点をしっかりイメージします。
慣れるまでは、江戸を新宿に置き換えて言ってみましょう。
「新宿からロマンスカーに乗って1時間20分ほどすると、小田原駅に着く」と言ってみましょう。「新宿」と「小田原」それぞれを言う時に、見ている場所が違うのがわかると思います。慣れるまでは、「お江戸」と言う時に「新宿」を思い描くとイメージしやすくなり、言葉にどれくらい距離が離れているのかのりやすくなります。
二十里は80キロほどの距離で、一日に10時間ほどかけて十里歩くと、江戸から小田原は丸々二日かかるそうです。
ロマンスカーに乗って行くイメージで距離感が出るようになったら、実際にその距離を歩くとどれほど大変なのか想像して読んでみましょう。
相州小田原一色町をお過ぎなされて、青物町を上りへお出でなさるれば、
<意味>
相州(神奈川県)の小田原にある一色町を過ぎて、青物町を西に行きますと、
「相州・小田原・一色町」を、それぞれ別の町のように読まないよう注意しましょう。
欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪致して圓斎と名乗りまする。
<意味>
欄干橋にある虎屋の藤右衛門という者が、今は隠居され髪を剃って円齋と名乗っております。
「欄干橋」は橋の名前、「虎屋」は屋号、「藤右衛門」は人物の名前です。
あくまで言いたいのは「欄干橋虎屋藤右衛門」であり、「圓斎」は補足情報です。「欄干橋虎屋藤右衛門」より「圓斎」を強調しないようにしましょう。
▼ 「元朝より〜透頂香と申す」まで
元朝より大晦日までお手に入れまするこの薬は、
<意味>
元旦から大晦日まで一年中手に入るこの薬は、
一年中の期間の幅広さを、しっかり意識しましょう。
「この薬」のところで、お客さんに薬を見せます。
昔、珍の国の唐人外郎と云う人、我が朝へ来たり、
<意味>
昔、外国から、外郎と名乗る人が我が国の都に来て、
「珍の国」は尊く珍しい国、「唐人」は外国人(ここでは中国の人)という意味です。
「外郎」は、本来は名前ではなく役職のようですが、ここでは名前だと勘違いしていても良いかと思います。
優れた中国という国の人が来たとイメージしましょう。
「我が朝」=「私の国の王様が住むところ」と、「帝」は、現代人の感覚よりもかなり尊いものになります。敬意を持ちましょう。
「来たり、」は「来た。」ではなく、「来て、」と次の文につながります。
帝へ参内の折からこの薬を深く込め置き、用ゆる時は一粒ずつ冠の隙間より取り出だす。
<意味>
天皇へ参内したときから この薬を深くしまい込んでおき、用いる時は一粒ずつ、冠の隙間から取り出します。
「深く込め置き、」に、とても大事にしているというニュアンスにしましょう。
とても貴重なものなので「一粒ずつ」大事にしている感覚を持ちましょう。
主語は誰?
「帝へ参内の折から此の薬を深く込め置き、用ゆる時は一粒ずつ冠の隙間より取り出だす。」
この部分の主語は誰なのか、これは諸説ありです。主語を誰にするかで、意味合いが変わるため、やる時は主語が誰なのかを意識してやりましょう。
【外郎の場合】
外郎は、天皇へ参内する時からこの薬を大事に持っていて、使用するときは、一粒ずつ帽子の隙間から取り出した。
【帝の場合】
天皇は、外郎がこの薬を献上した時から大事にしまっておき、使用するときは、一粒ずつ冠の隙間から取り出した。
依ってその名を帝より「透頂香」と賜る。
<意味>
そこでその薬の名前を天皇より、「透頂香」と賜りました。
天皇に名前をつけていただいた、由緒正しい薬である!と自慢します。
おまけ
なぜ薬を、袖ではなく冠にしまっているのか?
当時は常に冠を被っていて頭が臭くなるため、このスーッとした香りのする薬を冠に入れていた。そこで、冠(頂)から良い香り(香)が漂ってくる(透)という意味の名を、この薬につけたのではないかという説があるそうです。
即ち文字には頂き・透く・香ひと書いて透頂香と申す。
<意味>
つまり文字に表すと、頂き・透く・香いと書いて透頂香と申します。
「頂き」「透く」「香ひ」は、一語一語、手をつけながら伝えてみましょう。「透頂香」の語順とちがうので、語順に合うように手をつけてあげるとお客さんに優しくわかりやすいです。
▼ 「只今はこの薬〜薬でござる」まで
只今はこの薬、殊の外、世上に広まり、方々に偽看板を出だし、
<意味>
現在はこの薬も、想像以上に世の中に広まりまして、あちこちに偽看板が出ています。
「この薬」で、薬を見せます。世上に広まることはうれしいことですが・・・、偽物が出だしたのは、困ったことです。それを表現してみましょう。
イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと色々に申せども、
<意味>
いや、小田原で作っているこの薬を、灰俵だとか、さん俵だとか、炭俵だとか、色々と申されているようですが、
小田原の「だわら」から、「〜俵」を繰り返す、言葉遊びです。
実際の偽物の名前を出さずに、言葉遊びでそれを表現しているのが粋な部分です。あれやらそれやらこれやら、と腹立たしさも入れてテンポよく言ってみましょう。
これら全部ひっくるめて、「色々に申せども」につながります。
平仮名をもって「ういろう」と記せしは親方圓斎ばかり。
<意味>
平仮名で「ういろう」としましたのは親方だけでございます。
陳の国から来た「外郎」の名前を薬の名前にし、平仮名で「ういろう」と書いた物だけが本物ですよ、と断言します。
もしやお立会の内に、熱海か塔ノ沢へ湯治にお出でなさるるか、又は伊勢御参宮の折からは、必ず門違いなされまするな。
<意味>
もしやお集まりの中に、熱海か塔の沢(箱根)へ湯治にお出かけなさるか、又は伊勢参りに行く時には、決して店をお間違えになりませんように。
似たようなお店がたくさんあるので、お店を間違えないように、と念押しします。
お上りなれば右の方、お下りなれば左側、
<意味>
お登りの方は右側に、お下りの方は左側に店があります。
「お登り」=西・都(京都)へ行く
「お下り」=東・江戸へ帰る
八方が八つ棟、面が三つ棟、玉堂造、
<意味>
八方が八棟で、正面から見ると三棟の素晴らしい作りの建物が、
書かれている通りだと、八角形の建物で、正面から見ると三つの面が見える建物になりますが、
写真参照 http://www.uirou.co.jp/
写真のように、実際のお店を見ると、八角形ではありません。
ここでは、「八方」=四方八方の八方、つまり「沢山の」と捉えます。
破風には菊に桐の薹のご紋をご赦免あって、系図正しき薬でご座る。
<意味>
屋根の妻側の造形には、菊に桐の薹の御紋を掲げており、由緒正しい店の薬でございます。
「菊に桐の薹の御紋」=天皇家の家紋天皇に家紋を掲げることを許された、天皇家御用達の由緒正しい店です。
その辺の紛い物ではなく、ちゃんとした由緒正しき薬なんだ、と言いたいので、軽く言ってはいけません。
▼ 「イヤ、最前より〜神の如し」まで
イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、ご存知無い方には正真の胡椒の丸呑み、白河夜船、
<意味>
いや、先ほどから私どもの店の自慢ばかり申しましても、「ういろう」をご存知ない方には、何のことだか分からないでございましょう。
前文で「由緒正しき薬なんです!」と言った後に、お客さんの反応を見てあげましょう。
口でどれだけすごい薬だと言っても、「胡椒を丸呑みしたら、本当の味がわからない」ように、または、「ぐっすり眠りこんでしまってはどこを通ったのかわからない」ように、
実際に試してみなければ、本当かどうかはわからないですよね、と実演の方向に持っていくための、きっかけの部分です。
お客さんの気持ちを、もう一段こちらへ向けさせ、実演に入れるよう意識しましょう。
「白河夜船」のアクセントに注意。
さらば一粒食べ掛けて、その気味合いをお目に掛けましょう。
<意味>
それならば一粒食べてみまして、その効き目をお見せいたしましょう。
いよいよ実演開始です。
ここで、お客さんから「待ってました!」と声がかかるようなイメージでやってみましょう。
先ずこの薬をかように一粒舌の上に乗せまして、腹内へ納めますると、
<意味>
まずこの薬をこのように一粒舌の上に乗せまして、腹の中へ飲み込みますと、
「舌の上に乗せまして」の「て」で舌を出し、薬を飲み込む動作をしてから、「腹内へ納めますると」と言ってあげると、言葉も明瞭に聞こえますし、リアリティも生まれます。
イヤどうも言えぬわ、胃・心・肺・肝が健やかに成りて、
<意味>
いやもう何と言ったらいいのか、胃・心・肺・肝の調子がよくなりまして、
セリフを言いながら徐々に効き目が広がっていき、「胃・心・肺・肝」それぞれに効き目を感じましょう。
薫風喉より来たり、口中微涼を生ずるが如し。
<意味>
爽やかな風が喉から出てきて、口の中はほのかに涼しくなってまいります。
薫風が、喉を通って口の中へ広がっていくのを感じながら言いましょう。メンソール系のタブレットを飲み込んだときをイメージするとやりやすいです。
自分自身でもその素晴らしい効き目に感動し興奮をしながら伝えると、よりお客さんに伝わります。
魚・鳥・茸・麺類の食い合わせ、その他万病即効在る事神の如し。
<意味>
魚や鳥や茸、麺類の食い合わせで起こる不調や、その他どのような病気でもたちまちによくなっていく様は、まさに神の仕業のようでございます。
その前の文の情感あふれる語り口から切り替え、ここではしっかりとお客さんに対して、効能を伝えましょう。
▼ 「さてこの薬〜ホモヨロヲ」まで
さてこの薬、第一の奇妙には、舌の廻る事が銭ごまが裸足で逃げる。
<意味>
さてこの薬の一番の効き目は、舌が良く回ることで、銭ごまが裸足で逃げ出してしまうほどです。
「第一の奇妙」とは、万病すら治してしまうことよりも素晴らしい効き目があると言いたいので、「第一」は強調しましょう。
銭ごまとは、銭の穴に心棒を通してこしらえたこまのこと。
どれほどすごい効き目なのかを、「良く回る銭ごまさえ、慌てて草履を履く暇もなく逃げ出してしまうほどだ」と例えています。
ヒョッと舌が廻り出すと矢も盾も堪らぬじゃ。
<意味>
ひょいと舌が回りだすと、いてもたってもいられません。
矢で攻めても盾で防いでもその勢いを止められないほど、滑舌が良くなるということです。
そりゃそりゃそらそりゃ、廻って来たわ、廻って来るわ。
<意味>
ほらほら、回ってきました。
この辺りから、だんだんエンジンがかかって、軽快になっていきます。
アワヤ喉、サタラナ舌にカ牙サ歯音、ハマの二つは唇の軽重。
<意味>
ア・ワ・ヤ行は喉、サ・タ・ラ・ナ行は舌、カ行は奥歯、サ行は前歯、ハ・マ行は唇の閉じ加減で出す音です。
日本語の発音の仕方を説明しています。
ア・ワ・ヤ行:舌が他のところに当たらず、喉だけで発声。
サ・タ・ラ・ナ行:舌を使って発声。
※ サ行は舌で空間を使って発声するので、同じ分類にしているのかもしれません。
カ行:奥歯の方を響かせて発声。
サ行:前歯の方に当てて発声。
ハ・マ行:唇の閉じ加減で発声。
※ ハ行は、当時は「パ」や「バ」だったそうです。
軽快さは出しながらも、ひとつひとつ、どこから発声されるのか意識して説明しましょう。
開合爽やかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ。
<意味>
発音、発声をはっきりと聞きやすく、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ。
「アカサタナハマヤラワ」= 開口音(唇を開いて言う音)
「オコソトノホモヨロヲ」= 合口音(唇を合わせて言う音)
ここからは早口言葉です。
言葉の意味を意識しながら、母音の舌の位置はもちろんのこと、アクセントや鼻濁音、無声音などにも注意して、練習しましょう。
▼ 「一つへぎへぎに〜御茶ちゃっと立ちゃ」まで
一つへぎへぎに、へぎ干し・はじかみ、
<意味>
一つへぎへぎに、へぎ干し(欠き餅)・はじかみ(生姜)、
「へぎ」の「ぎ」は鼻濁音。
アクセントは、「へ ぎ \ に」、助詞で落ちるのが正しいようです。
盆豆・盆米・盆牛蒡、摘蓼・摘豆・摘山椒、書写山の社僧正。
<意味>
盆に供える豆や米・牛蒡、摘んだばかりのタデと摘んだ豆・山椒、書写山の社僧の僧正。
「盆米」「盆牛蒡」の「ご」は鼻濁音。
小米の生噛み、小米の生噛み、こん小米のこ生噛み。繻子・緋繻子、繻子・繻珍。
<意味>
小米の生噛み、小米の生噛み、この小米のこ生噛み。繻子・緋繻子、繻子・繻珍。
「小米」の「ご」は鼻濁音。
「緋繻子」のアクセントは、「繻 \ 子」なので、「緋 繻 \ 子」。
親も嘉兵衛、子も嘉兵衛、親嘉兵衛・子嘉兵衛、子嘉兵衛・親嘉兵衛。
<意味>
親も嘉兵衛なら、子も嘉兵衛、親嘉兵衛・子嘉兵衛、子嘉兵衛・親嘉兵衛。
親と子のベクトルを変えると、一辺倒になりません。
古栗の木の古切り口。雨合羽か番合羽か。
<意味>
古い栗の木の古い切り口。雨合羽か番合羽(屋号が入った合羽)か。
「雨合羽」「番合羽」の「が」は鼻濁音。
貴様の脚絆も革脚絆、我等が脚絆も革脚絆。しっ皮袴のしっぽころびを、三針針長にちょと縫うて、縫うてちょとぶん出せ。
<意味>
貴様の脚絆も革の脚絆、我等の脚絆も革の脚絆。皮袴のほころびを三針ばかり針ほどの長さに縫ってちょっと表に飛び出させろ。
「革脚絆」の「ぎゃ」は鼻濁音。
「しっぽころび」は、「ほころび」に拍子の「しっ」がついただけなので、
「しっぽころび」で一単語にせず、「ほころびを縫う」と言う意味を意識して言いましょう。
河原撫子・野石竹、野良如来、野良如来、三野良如来に六野良如来。
<意味>
河原撫子・野石竹、野良如来(その辺りに打ち捨てられた如来像)、野良如来、三野良如来に六野良如来。
「河原撫子」は、「河原撫子」というナデシコの別称か、「河原のナデシコ」かでイントネーションが多少変わります。
一寸先のお小仏におけつまずきゃるな、細溝にどじょにょろり。京の生鱈、奈良生真名鰹、ちょと四五貫目。
<意味>
少し前にある小さな仏様に、蹴つまずきなさるな、細いどぶ川にどじょうがにょろり。京の生鱈、奈良の生真名鰹、ちょっと四、五貫目(一貫=3.75キロ)。
「おけつまずきゃるな」は、「気をつけてください」と注意する感じで。
「どじょにょろり」は、「どじょう」が「にょろり」という意味なので、一単語にせず、どじょうが出てくる感じを表現しましょう。
お茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹茶筅でお茶ちゃっと立ちゃ。
<意味>
お茶をたてろ、茶をたてろ、さっとたてろお茶をたてろ。青竹の茶煎でお茶をさっとたてろ。
「ちゃっと」の「ちゃっ」はお茶を立てる擬音です。
「青竹茶煎」は、「青竹茶煎」か「青竹の茶煎」かでイントネーションが多少変わります。
▼ 「来るわ来るわ〜」最後まで
来るわ来るわ何が来る、高野の山のおこけら小僧、狸百匹、箸百膳、天目百杯、棒八百本。
<意味>
おぉ来るぞくるぞ!何が来る?高野山のこっぱのような(できの悪い)小僧たち、狸百匹、箸百膳、茶碗百杯、棒八百本。
「狸百匹、箸百膳、天目百杯、棒八百本」は言葉遊びです。
外郎売の早口言葉は『琴線和歌の糸』の『こんきょうじ』から取られたであろう言葉が多いですが、これは「お職箸、百八十膳、天目百盃、茶百盃、棒八百本立て並べ、責めかけ飲みかけ祈れども」の一文からだと思われます。
武具、馬具、武具馬具、三武具馬具、合わせて武具馬具、六武具馬具。菊、栗、菊栗、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。麦、塵、麦塵、三麦塵、合わせて麦塵、六麦塵。
<意味>
武具、馬具、武具馬具、三武具馬具、合わせて武具馬具、六武具馬具。菊、栗、菊栗、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。麦、塵、麦塵、三麦塵、合わせて麦塵、六麦塵。
「武具」「馬具」の「ぐ」と「麦」の「ぎ」は鼻濁音。「菊」の「き」は無声化。
「武具馬具」や「菊栗」、「麦塵」は一単語にせず、「武具」「馬具」、「菊」「栗」、「麦」「塵」としっかり分けて言いましょう。
一単語になりやすい場合は、それぞれ対象を左右に分けてやってみてください。
あの長押の長薙刀は誰が長押の長薙刀ぞ。
向こうの胡麻殻は荏の胡麻殻か真胡麻殻か、あれこそ本の真胡麻殻。
<意味>
あの長押に掛けてある長薙刀は誰の長薙刀だろう?
向こうにある胡麻の殻は偽物の胡麻(荏胡麻)の殻か、それとも本当の胡麻の殻か、あれこそが本当の胡麻殻だ。
「長押」の「げ」、「長薙刀」の「が」「ぎ」は鼻濁音。
「あの」や「向こう」はしっかり対象を指してあげましょう。
がらぴぃがらぴぃ風車。起きゃがれこぼし、起きゃがれ小法師、昨夜も溢してまた溢した。
<意味>
がらぴぃがらぴぃ風車。起き上がりこぼし、起きやがれ小法師、昨夜も寝小便を溢してまた溢した。
「起きゃがれ」の「が」は鼻濁音。
前文の「胡麻殻」の「がら」から、「がらぴぃがらぴぃ」と風車が回っている擬音につながります。
風車からの連想で、「起きゃがれこぼし」にいき、そこから「起きゃがれ小法師」につながる言葉遊びです。「起きゃがれ小法師」で、起きやがれ!小法師よ!と怒ったニュアンスを入れてあげると、なお良いでしょう。
たぁぷぽぽ、たぁぷぽぽ、ちりからちりから、つったっぽ、たっぽたっぽ干蛸。
<意味>
たぁぷぽぽ、たぁぷぽぽ、ちりからちりから、つったっぽ、たっぽたっぽ干蛸。
単なる音の遊びではなく、お囃子の擬音だそうです。
「たぁぷぽぽ」「たっぽ」は太鼓の音、「ちりから」は三味線の音、「干」は笛の音なので「ひ〜」と伸ばすと笛っぽくなります。
並べて読むのではなく、それぞれの楽器をイメージしながらキレ良く読みましょう。
干蛸? 一丁蛸?
「干蛸」は、「一丁蛸」とする資料も見られますが、これは、「干」という字が、手書きによる写し間違いによって「一丁」となってしまったという話を聞いたことがあります。
お囃子の流れからも、一丁蛸ではなく、干蛸の方がしっくりくるでしょう。
参考:
https://yugikukan.exblog.jp/9746505/
https://www.benricho.org/kotoba_lesson/Uirouri/shinkana.html#kaisyaku
落ちたら煮て食お、煮ても焼いても食われぬ物は、五徳・鉄灸、金熊童子に、石熊・石持・虎熊・虎鱚。
<意味>
干し蛸が落ちたら食べごろだから、煮て食べよう。煮ても焼いても食べられないものは、五徳・鉄灸、金熊童子に、石熊・石持・虎熊・虎鱚。
「五徳」は鍋を乗せる台、「鉄弓」は「焼網」でかたくて食べられない例えです。この流れから、金物の金を取って金熊童子にいったと考えられます。
「金熊童子」や「石熊」「虎熊」は、「酒呑童子」という鬼の家来の鬼の名前。
その間に、煮ても焼いても食べられる魚の名前「石もち」「虎ギス」が鬼の名前を使った言葉遊びで入っています。
中でも東寺の羅生門には、茨木童子が腕栗五合掴んでおむしゃる、
<意味>
中でも、東寺の羅生門には、茨木童子が茹で栗を五合ほど掴んで食べています。
「東寺」は、「当時」との掛け言葉なので、どっちの意味で言うのか意識しましょう。
酒呑童子の片腕である茨木童子という鬼が、源頼光に羅生門で腕を切り落とされたエピソードから、その"腕"と"茹で"栗で「腕栗」という言葉遊びをしています。
彼の頼光の膝元去らず。鮒・金柑・椎茸・定めて後段な、蕎麦切り・素麺、うどんか愚鈍な小新発知。
<意味>
かの源頼光の元を去らずに仕えている、綱・金時・季武・貞光(鮒・金柑・椎茸、定めて)、後段な、蕎麦切り・素麺、うどんか愚鈍な小新発知。
「鮒・金柑・椎茸・定めて」は、源頼光の家来の渡辺綱・坂田金時・占部季武・碓井貞光と、鮒・金柑・椎茸という秋の美味しい食材を掛けています。
なので、「膝元去らず。」は、「鮒・金柑・椎茸・定めて」にかかっています。くれぐれも、前文の「茨木童子が腕栗五合掴んでおむしゃる、」にかかってはいけません。
「後段な」は、「豪胆な」と前の家来を褒める言葉が変化し、「蕎麦切り」は茨木童子の腕を切った刀「髭切=鬼切」や酒呑童子を切った「童子切」などの刀とかかっていると思われます。
「後段な蕎麦切り・素麺、うどん」は食事の後の、軽食。麺類を出していたそうです。
「新撥知」は仏門に入って間もないお坊さんのことで、
「うどん」「愚鈍」を韻で踏むだけでなく、「愚鈍」のところで、ダメなやつ(新撥知)だ、というニュアンスをのせましょう。
小棚の小下の小桶に小味噌が小有るぞ、小杓子小持って小掬って小寄こせ。おっと合点だ、
<意味>
小棚の下の桶に味噌が有るぞ、杓子を持って掬って寄こせ。おっと合点だ、
言葉遊びで全部に「小」がついていますが、ひとつひとつ場所や動作を意識しながらやってみましょう。
心得田圃の川崎・神奈川・程ヶ谷・戸塚は走って行けば、灸を擦り剥く三里ばかりか、
<意味>
心得田圃の川崎・神奈川・程ヶ谷・戸塚は走って行けば、灸を擦り剥く三里ばかりか、
「心得田」は、「心得た」+「田んぼ」の合わせ言葉で、前文の「合点だ」を受けましょう。「田んぼ」のアクセントにも注意が必要です。
「川崎・神奈川・程ヶ谷・戸塚」は、東海道五三次を江戸から順番に並べ、だんだん小田原に近づいてきています。
「灸(やいと)」は、お灸のことで、膝の下にある三里というツボの辺りを転んで擦り剥くといっています。
川崎から戸塚は実際の距離だと三里以上ありますが、ここではこの三里のツボと距離を掛けています。
藤沢・平塚・大磯がしや、小磯の宿を七つ起きして、早天早々、相州小田原、透頂香。
<意味>
藤沢・平塚・大磯がしや、小磯の宿を七つ(まだ暗い午前四時頃)に起きて、早朝から早々に、相州小田原の透頂香を持ってまいりました。
「大磯がしや」は、大磯と大忙しいを掛けています。
「早天早々」の「そう」と、「相州」の「そう」を掛けあわせています。
隠れご座らぬ貴賎群衆の、花のお江戸の花ういろう。
<意味>
隠すまでもなくすでに花のお江戸で様々な身分の老若男女に愛されている、すばらしいこのういろう。
アレあの花を見て、お心をお和らぎゃという、
<意味>
あれ、あの花を見て、心をお和らげなさいと言う、
「お和らぎゃ」は、次の文の「産子」の泣き声に掛けているので、赤ちゃんの泣き声のように言ってみましょう。
産子・這子に至るまで、この外郎のご評判、ご存じ無いとは申されまいまいつぶり、角出せ棒出せぼうぼう眉に、臼杵擂鉢ばちばちぐわらぐわらぐわらと、
<意味>
産まれたばかりの赤ん坊から、ハイハイする子どもまで、この外郎のご評判をご存じ無いとは申されまいまいつぶり、角出せ棒出せぼうぼう眉に、臼杵擂鉢ばちばちぐわらぐわらぐわらと、
「まいまいつぶり、角出せ棒出せ」はカタツムリの歌と同じですね。
「ぼうぼう」は、眉毛がぼうぼうに生えているのと、炎が燃えてる擬音が掛かっています。
「臼杵擂鉢」は、どれも大きな音が出るもので、擂鉢のバチと擂鉢のする音が次の擬音に繋がっています。
羽目を外して今日お出でのいづれも様に、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息せい引っ張り、
<意味>
羽目を外して、本日お集まりくださった皆様へ、差し上げなければならない、売って差し上げなければならないと、精一杯がんばって、
東方世界の薬の元締、薬師如来も照覧あれと、ホホ敬って外郎はいらっしゃりませぬか。
<意味>
東方の浄瑠璃浄土にいらっしゃる病気を治す神、薬師如来様もどうぞご覧下さいと、ホホーと敬って、皆様、ういろうはいかがでしょうか?
「東方」は、「東の方」と「当方」の掛け言葉です。
この薬は東の方じゃすごいですよ、という意味、もしくは、
当方は世界で一番すごいですよ、という意味にもなるので、どちらの意味を取るかによってアクセントが変わりますので、しっかり意識しましょう。
「ホホ敬って」は、時代劇のように、「ホホー(ハハー)」と勢いをつけてお辞儀しているイメージで言ってみましょう。
<参考>
https://www.benricho.org/kotoba_lesson/Uirouri/index.html
http://morimaru.fan.coocan.jp/genbun_kougoyaku.html
https://yugikukan.exblog.jp/9746505/
http://web1.kcn.jp/kujiraza/training/uiro_yougo.htm
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