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1.17. あの日の記憶

1995年1月17日の記憶。忘れないように書き留めておこう。決して忘れることはないけれど。

あの日、私は神戸の自宅で被災した。

当時、私は、小学6年生だった。3学期が始まり、小学校生活もあとわずか。1/17は、中学受験の面接練習の日だった。面接練習嫌だなぁ、学校行きたくないなぁ、そう思いながら寝た。

突然、ドンッと大きく突き上げるような揺れで起きた。なに?なに?訳がわからず、地震とは思わなかった。近所に爆弾でも落ちたのか。急に戦争でも始まったのか。そう思った。

横揺れも長かった。布団を被って、数十秒ベッドで耐えた。揺れがおさまった後、ふと、私は生き残ったんだ!と思った。家族は自分以外生きていないかもしれない、と思った。

同じ部屋で寝ていた妹に、確かめた。

私: 「〇〇(妹の名前)、死んだ?」

妹:「死んでないわ!」

ホッとした。

しばらくして、下の階にいた母親が「地震よー、降りてらっしゃい」と叫んだ。この時に初めて地震だったんだと理解した。

あ、お母さんも無事だった。真っ暗な中、懐中電灯を照らしてくれた🔦

ホッとして妹と下の階へ降りた。リビングルームで3人毛布にくるまった。

余震が何度も来る。その度にゴーッという地鳴りがして怖い。地鳴り→地震の揺れの連続だった。

父親は、朝早い仕事で、すでに仕事場で仕事中。

30分ほど経った頃、父が家に安否確認に戻ってきた。「大丈夫かー?エライことになっとるぞ。道路がメチャメチャや!」良かった。お父さんも無事だ。

当時、携帯電話を持っている人は、ほとんどいなかった。自宅の電話しかなかったが、地震で電話機が壊れてしまって、電話の呼び出し音は鳴っていたが、受話器が取れず、親戚とも連絡が取れなかった。


明るくなるまで待とう。とにかく、毛布にくるまって、母と妹と日が昇るのを待った。

途中、トイレに行くが、水が流れない。

明るくなって気づいたことがあった。

前の家がない。アレ?

と思って見たら、1階が潰れて、2階が1階になっていた。わー、これはすごい。子どもながらにビックリした。

うちの家は幸い築浅で被害が少なかった。

明るくなってきたので、母と屋上へ上がった。

色々な場所から黒煙が上がっていた。
ただ茫然とした。よく理解できなかった。

家に戻ると、家の中、特に台所の被害がすごかった。お皿が飛び散り、破片だらけ。子どもはキッチンに入らないように親に言われた。

後片付け、大変だっただろうなぁ、と今になって思うが、当時は近づけなかった。

そこから、電気と水道は3日間来なかった。ガスは1週間来なかった。お風呂に入れたのは、何日目だったか。近所の銭湯に行った記憶がある。

さて、こんな感じだったような気がするが、意外と鮮明に覚えている。28年経っても、まるで昨日の出来事みたいに覚えている💦

私と妹は、その少し前まで2段ベットで寝ていた。年末に2段ベットを分けて、1段ずつにしたばかりだった。2段ベットのまま寝ていたら、と思うと、ゾッとする。

少しでも、みなさんの教訓になればと思います。


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