高校生のときに気がついた自分像
人生では節目節目に「自分と向き合う」時期がある。
私も今、また、人生で何回目かの、そんな時期にやってきた。
「自分とは何者か」
私が今まで1番初めに強くこのことを考えたのは、高校生のときだった。
それまで自分は、
「自分は明るくて、誰とでも友達になれて、社交的な人」
だと信じてきた。
多分、小さい時にはそうだったのだろう。
でも、中学生位になると、周りと同調しよう、社会に合わせよう、という力が働いて、「自分」を軌道修正したように思う。
日本の社会で生きやすいように(実際は生きにくかった)、自分を知らず知らずのうちに調整していたのだ、と今になって思うが、高校生のときには自分が社会に合わせて実は変わっていた、ということに気づいていなかった。
当時、私はまだ、
「自分は明るくて、誰とでも友達になれて、社交的な人」
と思っていたが、オーストラリアへ留学した16才のとき、大きな壁にぶち当たった。
それまで、日本という場所で演じてきた自分、日本の家族、日本の学校、日本の友達の中での「自分」が、オーストラリアの中ではうまく演じきれなかったのだ。
文化的背景の全く違う社会へ入っていったとき、それまでいた社会で求められていた、その人の「在り方」は通用しなくなることがある。
例えば、日本の学校では、黙って静かに座って先生のいうことを聞いている子が模範生になるのに、私のいたオーストラリアの学校では、そういう子は「消極的な子」「授業に参加しない子」「学ぶ意欲の少ない子」に見られてしまう。
もともとの私(自分が自分でいればよかった幼少期)が、まずは日本の社会に合わせた子になって(中学生~)、その子が海外へ行ったとき、日本の社会適応バージョンの自分が全く通用しなくなってしまったのである。
「自分とはなんぞや!?」
今まで考えたこともなかったような、疑問の波が私を襲った。
今までの自分をここでやるとチグハグしてしまう。
周りからの反応も全く違う。
嗚呼、私って、一体、どんな人間だったんだ・・・!?
誰でもそうであるかと思うが、高校生という多感な時期。
そして海外という環境。
そういった条件が重なり、私は完全に迷子ちゃんになった。
とりあえず、もがきにもがいて、もがきぬいた。
母親とは、普段はこういった話ははずかしくてあまりしない仲だったが、異文化適応や多言語文化、といったものが彼女の専門だったこともあり、私は彼女から色々は言葉をかけてもらった。
当時はまだインターネットがではじめたばかりの頃で、通信手段はもっぱら「文通」だった。
私は数え切れないほどの手紙を書いた。
毎日の日記に加え。
今でもそうだが、思考をクリアにするのに、私には書くことが一番合っているから。
そして、ある時、ふっと分かったのだ。
「本来の自分」
というものが。
その上で、私は「オーストラリアバージョンの私」も構築することに成功した。
「その社会で生きていきやすい自分」を見つけた。
社会的な生き物である上、人間は自分が置かれた社会によって、様々な「自分」があると思う。
大人になるにつれて、私は、
「ある社会に適応するための自分」
ばかりに重きをおくようになった。
それで、私の世界は上手く回っていた。
いや、回っていたと思っていた。
しかし、次第に疑問が湧いてくるようになる。
自分の社会的役割をひとつずつ、自分から剥いでいった、その一番中心には、なにがあるのか。
本当の、本来の自分とは何か。
まさか、40才過ぎてまた、振り出し(?)に戻るとは思ってもみなかったが、今、私はそれを思い出し、その自分を生きる必要がある、とそう思っている。
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