題目『こたえあわせ』
今宵のTwilloの冒険の題目は『こたえあわせ』。
「答え合わせ」は。
正しくて必要なモノである、と信じる時。。
整合を確かめる為に、そもそもあるハズの。
"こたえ" は。
存在しない。。
「答え合わせ」など。
しても意味がないモノである、と必要性を信じない時に限って。。
"こたえ" は。
存在する。。
「答え合わせ」には。
当然、 "こたえ" がちゃんと存在しないといけないんだけど。。
なかなかに難しいからね。
"こたえ" とは、何か?って。。
100年前には大正解だった "こたえ" も。
今では見当違いも甚だしい、ただの不正解、なんてこともあります。。
もちろん、いまの正解だって。
100年後には。。
笑い話のネタぐらいにしかならない不正解中の不正解。
なんてことだって十分にあり得る。。
こんな風に考えていると。
じゃあ「答え合わせ」なんて意味がないのでは?。。
となってしまいますが。
ちょっと冷静になってみると。
実際には。。
到底、そんな訳にいきませんよ。ええ。。
時代が少しづつは変わってきているのかも知れないけれど。
それでも。。
学歴を得るためにも。
社会に出て、一歩一歩、コマを進めていく為にも。。
自分が、その場その場で導き出した "こたえ" が正しいのかどうか。
「答え合わせ」をしていかなくてはならない。。
もしくは。
「答え合わせ」をされて、それによって評価される。。
「答え合わせ」なんて意味ないですよ、なんて言って。
しらばっくれていたら。。
あっという間に周りに取り残されますよ。
相当な、特別な能力でも持っていない限りね。。
こんな世界に独り放り出された時には。
こうする。。
受験勉強にしても。
出世競争にしても。。
単純に、"ゲームである" と考えればよろしい。
"こたえ" が本当に(未来永劫)正しいものか、どうか、なんてことは。
この際、まったく関係ない。。
今現在 "こたえ" とされているものを。
想定標的として。。
それに合わせた解答をしていけばいいだけのこと。
少なくとも試験はそれでパスできる。。
難易度関係なく。です。。
それはそれで。
何かの役に立つ時も来るんじゃないかな。。
何年も、ただただ "素振り" だけをやらされるようなものですよ。
それが、きっと役に立つ時は来る。。
それでは、この世界に "こたえ" と呼べるものは存在しないのか。
それは。。
冒頭に記した通り。
『こたえあわせ』をすることは。
もう癖みたいになっているな。。
正しかったのか。
もっと正しいことが出来たのではないか。。
『こたえあわせ』をした時点では。
もう結果は出てしまっているのにね。。
子供の頃からの癖だね。きっと。。
『こたえあわせ』をしなくなった時。
もう、その必要がなくなった時。。
決して存在しないだろう、と考えていた。
"こたえ" の正体が。。
その時ついに眼の前に拡がるのかも知れませんぞ(ニヤリ)。。。
Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。