見出し画像

わたしはだれでしょう


しばらく母のことを書いていなかったが、変わらず会いに行っている。実家と施設はとても近いので、最近はもっぱら父の見守りの方に重きをおいているのだが。


ある時から母は急速に退化した。
少し前には私達3兄弟(兄、姉、私)と自分とを合わせて、自分の4兄弟と思い込んでいる…程度だった。

先週からたて続けにケアマネさんから連絡を頂く。


母はおかずだけを食べてしまって白いごはんをどうしたら良いのか見つめているそうだ。
そして、お茶を自ら飲まなくなったそうだ。このお茶と言うのは、乾き症の母のために毎日部屋に置いてもらっている紙パックのおーいお茶だ。母はこのお茶を足りなくなる程よく飲んでいた。


「お茶を飲まなくなった」については母を見ていて納得がいく。「飲みたくなくなった」ではなく、『紙パックのお茶』というものがわからなくなっていると感じている。果たして飲むものなのか、それともそこに置いてある緑色の小箱なのか?
3日前に私が行った時にも、サイドテーブルのおーいお茶の渋滞が気になってはいた。


ご飯の件も同じで、おかずがなくなったので食べれないのではなく、コメだけが残ってしまうと突如「この白い物はいったいなんなんだろう??…」となるのだと思う。果たしてご飯だと認識できているのか?


母の思考に対して感じる私の違和感を、ケアマネさんもよくわかって下さっている。


そもそも、私たちの兄弟のことはとっくに誰だかわからなくなっているのだが、実は母は自分の名前もわからなくなっている時があると感じる。そんなことってあるんだなあ…





さて、私には孫もいる。乳幼児だった子が“ひとらしく”成長している時期だ。トイレに行き、条件反射のようにおしっこをすることを覚えていった孫は、先日おトイレで“おおきいほう”をしながら「一人で出来るようになって先生にほめられたんだよ」と教えてくれた。



一方母は居室のトイレゾーンに連れて行っても何をしていいのかわからなくてニコニコ顔でごまかしている。便器に誘導しなければすぐ隣に置いてある休憩用の椅子の「肘掛け」に座ろうとする。私は冷静を装い便座に誘導する。すると、座らせた瞬間ものすごい勢いで用を足している。それはまるで条件反射の様だ。


最近の母はすごい速さで逆行している。私はちょうど進化していく孫も見ているので複雑だ。

人というものはそうやって進化し、還っていくのかとつくづく思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?