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終わらない歌の中で

昨今の夏の日差しは、暑いというより痛いと表現した方がよい。数年前は、太陽照りつける中でも、「ああ、夏が来たな」と季節を感じる余裕があった。しかし、近年は「なんじゃこりゃああ!」と松田優作バリにぶっ倒れそうな暑さが続き、陽炎かげろうのようにユラユラと日陰を探し歩くことが多くなった。

昨年に引き続き参戦した『ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2023』(以下、ロッキン)へ徒歩で向かう道すがら、額の汗をぬぐいながらそんなことを考えていた。最寄りの蘇我駅からずっと人混みに揉まれていることも、暑さをよりいっそう助長していた。少しでも涼もうと、被っていた麦わら帽子をうちわ代わりにしたが、頭頂部にジリジリと焼けるような痛みを覚え、すぐに被り直した。暑さでおかしくなったのか、意味の分からない行動をしてしまった。

しかしながら、去年に比べ暑さが和らぐ要因もあった。コロナ対策の必須アイテムであった、マスクを着用する必要がなくなったのだ。今年から、ついに会場でのマスク着用義務が無くなり、声出しも解禁されたのである。同行する友人もノ―マスク。隣のグループもノ―マスク。こんなに多くの人の素顔を見るのは久しぶりだったし、こんなに多くの人が熱狂するロッキンを味わえることにワクワクしていた。

僕たちは8月5、6日の2日間に参戦した。
8月5日は湘南乃風やsumika、エレファントカシマシなどが出演した。特に、先陣を切る湘南乃風のステージは圧巻だった。彼らのライブは初めてだったが、やはり『夏フェス=湘南乃風』というイメージが強い。人気も相当なもので、湘南乃風のステージは入場制限がかかるほど大勢の観客が詰めかけ、開演前から熱気を帯びていた。

開演すると、湘南乃風の巧みな煽りとタオルパフォーマンスで会場のボルテージは一気に上昇した。僕自身は声を張り上げるタイプではないが、会場の雰囲気や何よりも湘南乃風のカッコよさに、ワーキャー叫びたくなる気分に駆られた。これが夏フェスで、これがロッキンか。熱気のこもった空気をいっぱいに吸いこみ、まだまだ続く音楽体験への期待に胸を膨らませた。


8月6日には、MONGOL800や東京スカパラダイスオーケストラ、ポルノグラフィティなどが出演した。(2日目は全体的にアーティスト名が長かった。)広島県出身のポルノグラフィティは、平和への祈りを込めた曲『アビが鳴く』を披露。演奏が終わると、会場中から温かい拍手が送られた。音楽を楽しむだけでじゃなく、何かに思いを馳せるフェスの光景もいいな、と思った。


2日目のトリは、Adoだった。
Adoは顔出しをしていないアーティストだ。そのため、撮影禁止はもちろん、望遠鏡すら禁止という事前アナウンスがされ、開演前から他のアーティストとは違った異様な雰囲気に包まれていた。

Adoのライブで感じた凄みは、圧倒的な歌唱力だ。
その歌唱力は会場を魅了する、といった生ぬるい表現では足りない。会場全体を捻じ伏せるような圧倒的なもので、野球でいうなら球速200km/hの豪速球をど真ん中に投げ込むような異次元さがあった。思わず「Ado様ー!」と服従してしまいそうな衝動に駆られた。

しかしながら、MCでのAdoは一転、意外なほど素朴な語り口で、低く落ち着いた声で一語一語しっかりと語る姿が印象的だった。その瞬間、彼女がまだ20歳であることを思い出した。

語られる言葉には力がこもっていた。昔からボカロが好きでボカロに救われてきたこと。自分に自信があるわけではないが、多くの人に聴いてもらえていることへの思い。大好きな日本の文化を広めるために海外で活動していくこと。MCの中で、ひたむきで実直なAdoの素顔に触れた気がした。

2020年に『うっせぇわ』で脚光を浴び始めてからというもの、今もなお活躍の場を広げ続けている。そんな自分の現状についてインタビューで語っていた。

「まるで誰かの人生を代わりに生きているかのような、自分の身にはありえないことが、次から次へと起きていますね」

https://www.vogue.co.jp/celebrity/article/the-ones-to-watch-ado

もしかしたら、こうしてロッキンのトリを務めていることにも喜びと戸惑いを感じていて、誰かの人生を生きているように感じているかもしれない。力強い歌声とは裏腹に、色んな思いを抱えながら生きてきたことが、ひしひしと伝わってきた。

最後の曲は、映画『ONE PIECE FILM RED』の主題歌である『新時代』だった。再び圧倒的な歌唱力を披露するAdoの姿に、まさに新時代の到来を予感させた。しかしながら、どれだけ力強く見えても、目まぐるしく変わる人生の中で、彼女は色んな思いを抱えながら生きていく。それは、僕を含め、会場にいる大勢の観客と何ら変わりはないのだろう。


今年のロッキンで一番印象に残ったのは、ゆずだ。
夕暮れ時に始まった彼らのライブは、とても自由だった。一般的なアーティストなら、『ステージ上に現れる→(歓声)→1曲目歌う」という流れになる。

ただ、ゆずのステージは枠にとらわれず、とにかく自由だった。開演しても、ゆずはステージ上に現れなかったのだ。ステージ横からトコトコ現れたのはバックダンサーだけ。観客の頭上にハテナマークが浮かぶ中、スピーカーから流れたのはラジオ体操の音楽だった。誰も状況が飲みこめず、会場はざわついていた。しかし、人間とは不思議なもので、戸惑いながらもラジオ体操を始める観客が多かった。

ラジオ体操が終わり、徐々にざわつきも収まり始めた。一瞬の静寂が流れた後、『テレンテレンテレン♪ テレンテレンテレン♪』と夏色のイントロが流れた。誰もが『イントロ→ゆず登場→夏色で大盛り上がり』という流れを把握し、会場は大いに沸き立った。しかし、そんな安易な予想は、ゆずには通じない。

「どーもー! ゆずでーす! いや~(以下略)」

なんと、彼らは夏色を歌わずMCを始めたのだ。盛大な肩透かしを食らった観客は再びざわついた。なんと自由なことだろう。ただ、ロックフェスの名にふさわしく、ぶっ飛んでてカッコいいと思った。ようやくライブがスタートしたのは、MCの後であった。

自由なのはオープニングだけではなく、ライブ中も同じだった。観客に簡単なダンスを伝授し、曲中に一緒に踊ったり、曲に合わせたカラフルな映像を流したりと、とにかく"ゆず色"満載だった。もはやライブ中盤に『サヨナラバス』を歌っていようが、誰も気に留めなかった。

MCで、北川悠仁さんが「ゆずのライブに来たことがある人ー?」と問いかける場面があった。挙がる手はまばらで、北川さんの不満げな様子に、会場から笑いが起きていた。僕もゆずのライブに行ったことはなかった。だけど、会場にいる多くの人が、すでに彼らのとりこになっていたのは間違いないだろう。

ライブも終盤に差しかかり、陽はすっかり落ちていた。さっきまでの自由な雰囲気も一転、北川さんが、コロナ禍を経て本来の姿を取り戻したロッキンへの思いを語り始めた。やっと帰ってきたロッキン。今日に至るまで、それぞれが悔しい思いや苦しい日々を乗り越えてきたことを振り返り、一緒にこの曲を歌おう、と会場に呼びかけた。

流れ始めた『栄光の架橋』は、色んな人の声・思いが折り重なって、大きなうねりとなっていた。たくさんの人が同じ場所にいて、同じことをやっているだけでこんなに感動するんだ、と知った。

しかしながら、しんみりした雰囲気で終わらないのが、ゆずだった。ラスト一曲は『夏色』。誰もが知る名曲に、会場は盛り上がった。曲が終わると、どこからかアンコールが起こったのだが、ステージ上では北川さんがブチギレていた。

「なにアンコールなんかしてんだよ! お前ら、ほとんどライブ観に来たことねえんだろぉぉ!!」

大爆笑に包まれる会場。前方スクリーンに映る北川さんの手には、アンコールを呼びかける『もう1かい!』と書かれたうちわが握られていた。

それからというもの、『もう1かい』に留まらず、何度も何度も『夏色』のサビが繰り返され、何度も何度も合唱を繰り返した。「次のライブが始まるから」と、アンコールの途中で移動を始めるグループもいたし、僕たちも途中で移動を始めた。だけど、移動を始めたほとんどの人が、「この長い長い下り坂を~」と小さな声で口ずさみ続けていた。

『夏色』にはこんな歌詞がある。

真夏の夜の波の音は不思議な程心静かになる
少しだけ全て忘れて波の音の中 包みこまれてゆく

『夏色』ゆず

ゆずのステージから遠く離れても、『夏色』の小さなうねりは周囲を包みこんでいて、不思議とその中にずっと居たくなった。来年も終わらない歌を歌いに来よう。サヨナラ、ユズ。

P.S. MCの内容はうろ覚えの部分もありますので、あくまでニュアンスとしてご理解いただければ幸いです。

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