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お母さんという存在

「今日の俺んちの晩ごはん、牛丼なんだ」

小学生のとき、野球クラブに入っていた。平日は夕方まで練習をしていたから、終わるころにはすっかり夕飯時。だから、先輩が自慢げに語る牛丼の魅力がやけにお腹に響いてきた。

僕は牛丼を食べたことがなかった。田舎すぎて家の周りに『すき家』や『松屋』、『吉野家』がなかったという事実については慰めてほしいのだが、そもそも家で牛丼を食べるという発想がなかったのだ。だからこそ、先輩の一言で「牛丼は家でも食べられるのか…!」と、急に身近な存在になった。

練習後は、いつもお母さんが車で迎えに来ていた。その日、車内で揺られる間、僕は牛丼のことを考えていた。

小学生のころ、晩ごはんのメニューに対してお母さんに意見することはほとんどなかった。(まあ聞かれても「なんでもいい〜」と答えていたのだが。)それに、練習から帰るころには晩ごはんは出来上がっているから、提案するタイミングも少ない。そんな僕が、めずらしく”食べたいご飯”について考えていたのだ。

どんな味なんだろうと想像している中、無意識に「牛丼食べたいなァ……」と独り言のようにつぶやいたらしい。僕の声に気づいたお母さんは言った。

「じゃあ、今日は牛丼にしよう!」

その言葉を聞いたとき、僕はとても驚いた。牛だぞ、牛。そんな簡単に決めちゃっていいのか、という気分だったのだ。僕の感覚としては、牛肉を使うのは、焼肉やすき焼きとか豪勢な料理のときだけだと思っていた。だからこそ、余計に感情をゆすぶられた。

約束通り、お母さんはスーパーに寄って具材を買ってくれた。「つゆは少し辛い方がいいな」と僕好みの味を選んだり、「牛肉は薄切りの方がおいしくなるらしい」などと先輩からの情報を横流ししたりしながら、長ネギ、卵も買って家に帰った。僕は久しぶりにご飯のことでワクワクしていた。


家に着いた瞬間、僕はドキッとした。食卓には、いつものように晩ごはんが用意されていたからだ。てっきり、忙しくてまだ準備していなかったから牛丼を作ってくれるのだと思っていた。だけど実際は、いつものように料理はできていた。その上で、僕が牛丼を食べたいというから、お母さんはわざわざその願いを叶えようとしたのだ。

「せっかく用意してくれてたのに、悪いことしたなァ……」

その日2回目のキッチンに立ち、牛肉をグツグツと煮込むお母さんの背中を見ながら、申し訳ない気持ちになった。
かすかに匂ってくるつゆの香りが、余計に切なさを助長させた。

当時は申し訳ないとか、そんな想いばかりだった。だけど今なら、お母さんの気持ちが少しわかる気がする。


大学生になり親元を離れた僕のもとに、1か月に1回のペースで仕送りが届けられる。段ボール箱にはいろんな食材が入っている。ただ、別に大それたものが入っているわけではない。正直言って、1人暮らしをする僕にとっては「自分でも買えるよね」という物も多い。

自分でいうのもなんだけど、僕はちゃんと生活できている方だと思う。
実家にいたときは料理どころか、ガスコンロにもほとんど触ったことなかった。だけど、自炊は5年以上続いてる。洗濯もやったことなかったけど今ではなんてことはない。生乾きにも気を付けてる。朝はいつもお母さんに起こしてもらってた。だけど、今は1人で起きている。寝坊もほとんどしたことない。単位もちゃんと取って卒業した。就職も決まった。

それでもお母さんにとって、僕はいつまでも”あの頃のまま”なのだ。
料理も洗濯もちゃんとできるか心配だし、朝も何度起こしても起きてこない、手間がかかるはずの息子のまま。「これが食べたい」とお願いされれば、その日すぐにでも作ってあげたくなる存在のままなのだ。

だからこそ言えるのは、仕送りの段ボール箱の中には単に”物”が入っているだけではないということ。1つ1つに大切なメッセージがこめられているのだ。

お米は毎回入っている。『主食をちゃんと摂りなさい』ということだろう。野菜は『青物も忘れずに』。大量の缶詰とカップ麺は『災害が起きたときに困らないように』。お菓子も入っている。これは僕が甘いものが好きだからだろう。

買おうと思えば、全部近所のスーパーでも買える。お母さんもそれは十分理解しているだろう。だけど、近くで買える・買えないとか、そんな単純な話ではない。段ボール箱の中には、"あの日牛丼を作ってくれたお母さんの気持ち"と同じものが入っているのだ。
ただ、子どもを想う気持ちが。


1年に2回、お正月とお盆に実家へ帰省する。駅にはお母さんが車で迎えに来る。お母さんは、久しぶりに会った僕に「その服、シワついてない?」とか「髪、そろそろ切った方がいいんじゃない?」という言葉をかけてくる。「数か月ぶりに会って最初に言うことか」とツッコみたくなる。だけど、お母さんとはそういう存在なのだろう。

晩ごはんになれば、僕が好きだったものが食卓に並ぶ。だから、帰省するたびに牛丼が出ている。「牛丼食べたいなァ……」と言ったのはずっと昔のことだけど、お母さんは昨日のことのように憶えている。どんな味付けが好きで、どんなこだわりがあるのかをパソコンのように正確に把握しているのだ。

だからあのときと同じように、熱々のごはんの上に、『辛』が強めの甘辛いつゆがしみ込んだ牛肉と長ネギ、糸こんにゃく、卵が乗っている。

やっぱり牛肉は薄切りの方が味が染みこむからおいしい。ごはんとも相性がいい。長ネギは少しくたくたで、卵はちょっと半熟なのが好きだった。
それらを完ぺきに覚えてるから、いつも食卓に並ぶのは僕好みの牛丼だ。

さすがにちょっと飽きちゃったけど、おかわりをすると嬉しそうな顔をするから言えない。
僕にとってお母さんとは、そういう存在なのだ。


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タダノヒトミさん主催の『いちまいごはんコンテスト』に参加させていただきました。最近、お母さんとの間に少々いさかいがあったので、この記事を書いて優しさを取り戻せそうな気がしました。笑
素敵な企画を考えていただきありがとうございました…!


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