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あなたにとっての一番星

何年ぶりかも覚えていないくらい、プラネタリウムに行くのは久しぶりだった。数週間前に街中でプラネタリウムのポスターを見かけ、急に行きたくなったのだ。少し遠出になるが、明石市立天文科学館に赴くことにした。ちなみに、プラネタリウムの稼働期間の長さは日本一だそうだ。

すごく楽しみにしていた訳ではないが、前日は夜中2時頃まで寝つけなかった。普段寝るときのことだが、無音だと仕事のことなどを考えてしまうので、いつもテレビをつけっぱなしにしたまま寝る。ただ、朝までつけっぱなしだと電気代がもったいないので、オフタイマーをセットし、30分後か1時間後には消えるように設定している。

その日は全然寝付けなかったので、眠りにつく前にオフタイマーでテレビが消えてしまった。音が無いと余計なことを考えてしまうから、再びテレビをつけ、オフタイマーをセットする。しかし、眠れずにテレビが消える。再びテレビをつけ、オフタイマーをセットする。その繰り返しだった。


プラネタリウム会場は、どの場所とも似つかない不思議な空間だ。ドーム状の天井は一面がスクリーンになっており、座席は円状にグルリと配置され、それが何列も連なっていた。

目を引いたのは、やはり中央に置かれたプラネタリウム本体だった。両端に球状の投影機がついた、いわゆるダンベル型というらしい。黒光りするその機械は3m近くあり、想像していたより大きかった。

座席はリクライニングになっており、座り心地がよかった。まるで、ゆりかごの中にいるようだった。前日からの寝不足もあり、そのまま眠ってしまいそうだ。いかんいかん、僕は夢ではなく、星をみにきたのだ。

ひと通りお客さんが入場すると、会場の照明が落とされた。プラネタリウムのコンセプトとしては、日の入りから始まり、有名な恒星を映し出したり、東西南北それぞれに見える星座を紹介していったりして、日の出を迎えて終演という流れだった。

プラネタリウムの雰囲気になじむBGMと、聞き心地の良い解説の肉声、座り心地の良い座席が相まって、すぐにうっとりとした気分になった。天井一面に広がる夕焼け空が徐々に暗くなっていく。

「太陽はすっかり沈み、夜空には、一番星が輝きはじめる頃です」

一番星はどれだろう、と映し出された夜空を見回した。見つけた、と思ったが、すぐ近くには別の星が輝いていた。その星と僕が見つけた星はどっちが一番星だったのだろう。いや、もしかしたらもっと別の場所に一番星があって見逃していたのかもしれない。これは、何かに似ている。

「夜空にはいくつもの星が瞬いています。あなたにとっての一番星は、どの星でしたか」

解説の暖かな声が、空間を包みこんだ。その言葉を聞き、僕は安心したように眠りに落ちた。


『深刻になるな、 真剣になれ』という言葉は、スウェーデン出身の元テニス選手ビヨン・ボルグの言葉だ。この言葉を知ったのは大学時代のことである。ネガティブに陥りそうになったときにふと思い起こされて、何度も救われてきた言葉だ。物事を深刻に捉えると、どんどん暗い方へ進んでいき、自ら闇を求めてしまう。一時が万事になる。周りが見えなくなる。いいことはほとんどない。たとえどんなに難しい状況でも、真剣に生きることだけを考えた方がいいと思った。

虚ろな目をして、気づかないうちにヨロヨロと崖へ向かって歩いていく。「そっちに答えは無い!」と呼び戻す声がきこえた。後ろを振り返るが、そこには誰もいなかった。


冬の帰り道は、暗くなり始めるのが早い。一緒に帰っていたはずの同級生は1人、2人と途中でいなくなる。「また明日」、「また明日」。そしてひとりぽっちになった。空はすっかり暗かった。

1人でも出来ることがある。夜空を見上げて、一番星を見つけようと思った。目を凝らしてみると、真っ暗な夜空に、キラッと瞬く星が見えた。「あった!」と心の中で叫んだ。その瞬間、夜空一面に黄金色に輝く無数の星が現れた。それはまるで星の海のようで、明滅を繰り返す星々は波を打つ水面のようにも見えた。ただ、それが僕を惑わせる。見つけた一番星はどこにあるのかわからない、わからない。どうしよう、分からない。

不安に駆られて空に両手を伸ばすと、体が宙に浮いて星の海へと近づいていった。遠くなっていく地面を気にかけることなく、ただ必死に星の海を目指して、空中を泳いでいった。

ようやくたどり着くと、一粒の砂を探し出すように、数多の星をかきわけて、かきわけて一番星を探した。どこにもない、どこにもない。焦りで汗が止まらない。

フッと顔を上げると、そこには無数の星が輝いていた。その壮大さに僕は絶望した。こんなにたくさんあったら見つからない、見つかるはずがない。僕は星の海の上で小さくうずくまり、両膝に顔を埋めた。すると、星々が徐々に消えていき、夜空の暗さが戻ってきた。体も段々と重くなって、地面に向かって落ち始めた。加速し続け、段々と地面が近づいてくる。僕は、死ぬのか。

「生きろ!」

どこからともなく、呼びかける声がした。ハッとしたその瞬間、背中から羽が生えてきて、心臓のあたりが黄金色の光を放った。


「さて、長かった夜が明け、いよいよ日の出の時間です」

暖かな声に促されるように、眠りから覚めた。真っ暗だったスクリーンが、ぼうっと白みがかって、やがて太陽が昇ってきた。

ここはプラネタリウムだ。僕は夢を見ていた。小学生の頃、帰り道がひとりぽっちで寂しかったけど、親には言わなかったこと。中学生の頃、学校や部活で周囲に合わせて自分の感情に蓋をしていたこと。高校生の頃、模試の点数が思うように伸びなくて悩んでいたこと。人生の色んな事が混ざり合ったような夢だった。


終演後、出口に向かう人の波が収まるまで、しばらくの間シートに座り続けた。ぼんやりと天井を見上げ、夢の意味を考えていた。

今、何か深刻な問題を抱えて思い悩んでいる訳ではない。頭の片隅にこびりついていたことが、ふいによみがえってきたのだろう。それらは、深刻に生きる術しか知らなかったときのことだった。自分ではない絶対的な何かに支配されていたときのことだった。一番星が一つだけしかなかったときのことだった。

今でもたまに深刻がやってくるが、心の中の真剣が抵抗している。自分ではない何かからの支配に抵抗している。僕にとっての一番星は、あなたのものとは違う、と真剣な眼差しで訴えている。


段々と人が減ってきたので、席を立ち、出口に向かうことにした。その途中、ふと思い出したように後ろを振り返った。中央には大きな投影機があった。その形と黒色が相まって、空を飛ぶことに憧れるアリに見えた。羽アリは、そういうアリが真剣に努力した姿なのだろうかと思った。


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