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「散歩中」


「散歩中」

 私はよく散歩をする。仕事がうまくいった日、そのまますぐ帰らずにグルグルと遠回りしながら歩き回るのが好きなんだ。すっかり慣れたと思ってる仕事ではあるのだけど、やっぱり毎回プレッシャーを感じたりしているんだろう。今回もやりきった、という解放感が心地良く、散歩はそれを何倍にも気分を爽快にしてくれるのだった。

 この日も、私はいつものように気分良く仕事終わりの散歩を楽しんでいた。爽やかに吹く風がとても快適だ。しかし、この気分は背中からかけられた声によって壊された。
 「あの、ちょっと、すみません。何か落としたようですよ?」
 「えっ?」
 振り向くと、背広をヨレッと着た男が一人立っていた。右手に何か持っている。
 「ほらこれ。カード。クレジットカードです。落としましたよ、今。」
 私は慌てて上着を、そしてバッグを確認した。上蓋はしっかり閉まっていて、何かが落ちたような気配はない。
 「それ、私の物じゃないですよ。」
 「いや、あなたのですよ。あなたの鞄から落ちるのを見たんですから。…えーっと、高梨さん?」
 クレジットカードをちらっと見て、男が名前を呼んだ。ふつう、拾ったカードの名前を読む?とちょっとだけドキッとしたけれど、その動揺は表情には出さなかったと思う。
 「いえ。高梨じゃないです、私。…ほら、バッグ、ちゃんと閉まってるでしょ? ここから物が落ちるなんて事は無いですよ。きっと見間違いでしょう。」
 バッグを前に差し出して言ったが、男はそれをろくに見ようともせずに首を振った。
 「高梨さんじゃない? いやそんな事は無いでしょ? 高梨…ミツキさん?」
 男が目を覗きこむ様に顔を突き出してきた。気持ちの悪い、何を考えているのかわからない眼付きだ。視線を合わせたくはなかったけど、逸らせたら負けなような気がして見返した。
 「だから私、高梨ミツキなんて名前じゃないですし、そのカードも私のじゃないです。」
 「ふーん、あなたは高梨ミツキさんじゃないし、このクレジットカードも別人のものだ、と…。」
 男は私の顔、髪の毛、胸、腰、最後には靴の先までじろじろと見てきた。私は急に怖くなってきた。真冬にシャワーが壊れていて思いっきり冷水を被ってしまった時のように、全身に鳥肌が立った。最近はこの近辺でもいろいろな事件が多い。警察もこれらの対策に力を入れているとは聞いているけど…。
 「…あなたは違うっていうけど、俺はね、今、確かにこのカードが落ちるのを見たんだよね。ああ、いや、鞄から落ちたと思ったのは勘違いだったかもしれない。ポケットからかも。ちょっと、その服のポケット、確認してくれませんかねぇ? だって大変でしょ? クレジットカード失くしちゃったら。」
 相変わらずこの男は私の事をじろじろと見続けている。気のせいか、特に胸を見ている時が多い気がして気持ちが悪くなった。とにかく、すぐにこの場を離れたい。
 「あの、すみません。私ちょっと急いでますので、これで。とにかくそれは私の物じゃありませんから。」
 「急いでるって…。すぐ済みますよ。ポケットを確認するだけです。ほら、その上着やズボンのポケット。ちょっと手を突っ込んで無くなった物がないか確認するだけです。なぜそれが出来ないんです?」
 「その必要が無いからです。それは私のカードではありませんから。」
 「…そうですか…。それではこうしましょう。ちょっと、お話をしましょう。こんな所で話すのもなんですから、場所を変えて。」
 男はぐるっと周りを見る素振りをして、手を広げた。そして私の方に一歩踏み出してきた。私は危険を感じ、咄嗟に周囲を見回した。ここはちょうど一本道の中間あたりで横道に逃げるようなことは出来ないし、走ってこの男から逃げ切れる気もしない。そんな事を考えているうちに、反対側から更に四・五人の男たちが駆け寄ってきて、私はすっかり取り囲まれてしまった。
 「まあ、そんなに警戒しないで下さいよ。ちょっとお話を伺いたいだけです。」
 最初の男が勝ち誇ったような顔で言った。
 「知ってると思いますが、向こうに高梨さんっていうお宅があるんですよ。高梨ミツキっていう女性の一人暮らしなんですけどね? どうやらクレジットカードを狙われたらしくってね、詐欺グループに。そうそう、このカードね、どうも俺のポケットから落ちたらしいや。悪いね。あんたが落としたもんだとばっかり思ってたけど俺が自分で落としてたみたいだわ。何枚か作っておいたんだよね、ダミーのカード。あんたは持ってるかなぁ、我々が用意した偽のカード。役所職員のフリした男に手渡されたのはわかってるんだけどねぇ。あんたの上着の内ポケットの中身、とっても、気になるんだなぁ。」

 どうしようか。スーツの内ポケットにカードがあるのは既に気付かれているようだが、「高梨ミツキ」なら男でもおかしくない名前だ。同姓同名で突っぱねる? …いや、最初に「高梨じゃない」って言いきっちゃったしな…。そもそもそんな嘘通用するわけないし。まあ、こんな仕事してればいつかはこうなるか…。

 風は相変わらず爽やかに吹いている。刑事たちに連れられながら、ああ、今日が最後の散歩だったんだなぁ、と、何だか可笑しくなった。


 今回はショートショートです。仕事絡みのネタ出しと被ってくる分野でもあるのであまりストーリー物は出せないと思いますが、こういう映像にするのは無理なものや、内容的に(不健全だったりで)明らかに没になるようなものは、たまにはこの場で出していくのも良いかなと思っています。
 …本当に、たまに、になるとは思いますが。楽しんで頂けたら幸いです。

 最後まで目を通して頂き、どうもありがとうございました。